また余計なことを・・・

30代、どう楽しく緩やかに生きよう

電車内で赤ちゃんをあやさない親がムカつく

先日、飲み屋さんで言い合いになってしまいました。

「電車内で赤ちゃんが泣いているのに放置する親にムカついた」
という人がいたから。

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ここでいう赤ちゃんというのは、まだ歩いたり喋ったりできない乳幼児のことを指します。

私は今まで子育てをしたことがありませんが、
「乳幼児というのは泣くものだ。そしてそれは必ずしも親がコントロールできるようなことではない」
という認識を持っていました。
「泣いている赤ちゃんは悪くないし、その親だって悪くない」
というのが私の思うところです。

 

で、最初に書いた言葉を言われた時に私は、
「赤ちゃんはあやせば必ず泣き止むものではなくて、むしろ放置した方が早く泣き止むという子だっているかもしれない。あえて放置していた可能性だってある」
と反論したところ、

「公共の場なんだからあやす振りでもしろ」
とか
「イヤホンと音漏れは注意しますよね?赤ちゃんと泣き声だって同じだ」
と言われたのでした。

私が思うのは、「公共の場なんだからあやす振りでもしろ」というのは、イコール
「赤ちゃんが泣きやまないのは知っています。けれど自分はそれにすごく苛立っています。なんだから、自分のこの苛立ちを少なくするために本当はしなくてもいい、むしろしない方が良いかもしれないあやすという行動をあえてとってこっちの機嫌を取れよ」
という、泣いている赤ちゃんよりももっともっと赤ちゃんな大人が持つ意見なのかな?と感じてしまいます。

私は、赤ちゃんを連れているお母さんに「子どもが泣くのは当たり前でしょ、周りが我慢しなさい」という態度を取ることを推奨しているわけではありません。

だけれど、お母さんに周りの気分を悪くさせないためのポーズをそこまで求める社会って、どうなんだろう?という気持ちです。
だって赤ちゃんもお母さんも、悪いことって一切していないはずです。
赤ちゃんだから泣く、という当たり前のことをしているだけなのです。

なぜ電車内で赤ちゃんをあやさない親がムカつくのだろうか?

ではなぜ、電車内で赤ちゃんをあやさない親がムカつくのでしょうか?

赤ちゃんが泣くのは当たり前ということを理解していない

みんな枕詞のように、「赤ちゃんが泣くのは当たり前だけど」「赤ちゃんが泣いているのに責任はないけれど」と言います。
だけれど、それ本当に理解していますか?と思うんです。

理解していたら、イヤホンの音漏れと赤ちゃんの泣き声を同じカテゴリーの迷惑行為に入れないと思うんです。
本当に赤ちゃんが泣くのは当たり前で、赤ちゃんが泣いているのに責任がないと心から思っていたら、そんな当たり前のことにムカつく自分のために母親は態度で示せよ、という心境になるのかな?と。

赤ちゃんが泣くのは母親のしつけができていないからだと思っていませんか?
本当にそうでしょうか?
お母さんの努力で赤ちゃんが泣かないのならば、日本中の赤ちゃんから泣き声が消えるのではないでしょうか?
年配の方は言いました。
「子どもが泣くのは今の母親が甘いからだ。泣き止ませられないなら電車を降りるべきだ。自分の時はそうした。」と。
昔は母親のしつけにより赤ちゃんは泣かなかったのでしょうか?

もしそうならば、その方法を今のお母さんたちにも教えてあげれば良いのに。

道端(みんなが使う道など)で犬が吠えている時、飼い主に「せめてあやしてる振りだけでもしろよ、こっちの気分は悪いんだから」と言った人に私は会ったことがありません。
それは「犬は吠えるもので、言ったところで確実に伝わるわけではない」からということをみんなが理解しているからなのではないでしょうか?

人生って、上手くいかないことが沢山あります。なんとかしようとしてもなんとかならないことが沢山あります。だけれど、なんともならないことにムカついたとして、誰かのせいにすることがどれだけ未熟なことか、わかりますよね。

赤ちゃんがいる親(特に母親)を下に見ている

様々な意見があるかと思いますが、基本的にこういう意識があるのではないかと思います。
私はこの話を聞いた時に、障がい者の方にも「もっと申し訳なさそうな態度をしろよ」みたいな言葉を投げかけている人のことを思い出しました。
とても近いものがあるんじゃないかと思います。

障がいがある人も、泣くのが当たり前な赤ちゃんも、確かに他人に迷惑をかけることはあるかもしれません。(周りが助けたり、泣き声を我慢したりなど)だけれど、それらは仕方のないこと。自然現象なわけです。本人たちは何も悪いことをしていないわけです。その人たちが申し訳なさそうに態度に出さなきゃいけない理由って、なんなのでしょうか?
そう思うのって、相手を下に見ているからだと思うんです。
本当に対等だと思っていたら、障がい者の方も健常者の方も赤ちゃん連れのお母さんも公共の場を使う権利があるわけで、その中で起こるどうしようもない自然現象やハンデは周りが助け、同じように公共の場を使えるようにしてあげるものだと思うんです。

心の奥底に、障がい者の方や赤ちゃん連れのお母さんに対して「お前らは自分たちと違って世間に迷惑をかけている人間なんだから、態度くらいは申し訳なくしていろよ」という気持ちがないでしょうか?
障がい者の方や赤ちゃん連れのお母さんよりも、自分の方が優れていると思ってはいないでしょうか?

電車内で赤ちゃんをあやさない親がムカつく・まとめ

繰り返しますが、私はお母さんに偉そうな態度を取ることを勧めているわけでは決してありません。

だけれど、「周りに迷惑だから気分を悪くさせないためにあやしている振りをしろ」というのは周りが言うことではなくて、お母さん本人が考え、選択するならばする、しないならしないことだと思います。

泣き声を迷惑だと思うことを悪だとは思っていません。
しかし赤ちゃんが泣き止むかどうかよりも、周りの人に「お母さんは赤ちゃんを泣き止ませるために頑張っている」と思わせるような行動を優先させなきゃいけないような風潮に疑問を感じたので、自分の意見をまとめてみました。

そしてその根本には、「母親は苦労しろ」とみたいな気持ちがあるのではないかと思うのです。
食洗機や家事を楽にしてくれるものを使う主婦に文句を言う人たちとちょっと似てるかなと。
私は、どんどん楽をしてほしい。苦労することが正しいというこの価値観はもう変わっていかなければいけないと思う。苦労する、楽をするよりもどうしたら子どもにとって本当に良い選択なのか。お母さんが楽をすることは子育てをする気持ちにも余裕ができ、その他夫婦関係など色んなことが円滑に円満に回っていく秘訣だと思うから。

電車内で苦労している母親を見て(母親に苦労している振りをさせて)満足する方達は、一度そこに何を求めているのか、自分を見つめ直しても良いんじゃないかと思いました。

そして最後にありがちな言葉ですが、人間誰でも赤ちゃんから始まります。
その時、自分が親にあやされていたら必ず泣き止んでいたのでしょうか?
私は覚えていませんが、当時の私に泣くことを止めることが簡単にできなかったことは想像できます。
覚えていないのは当たり前ですが、想像できると思うのです。
そうすれば、少しずつ変わっていけるのかな、と思います。