お金を稼ぐこと=悪という風潮について思う
お金が欲しいことを前面に出すと批判されることが少なくないんですよね。
特に私の活動みたいな#MeTooに関することって、余計そう言われます。
「人を助けることなのに、お金を取るんですか?」とか。
そういう人たちは、私に「無償で活動をしていろんな人を救え」と言っているように思えます。そしてそれに対して私はとっても違和感を覚えます。
お金を稼ぐ=悪?
それって、どこかオリンピックのボランティアだったり、逃げ恥みくりさんの「やりがい搾取」と似てる気がするんです。あとは芸能事務所が仕事をし始めて業界のことをまだ知らないような子に対して「お金の話をするなんてやる気があるのか!」というアレも。
根本に、お金を稼ぐこと=悪というイメージがあるのではないかと思う。
そして、苦労する・自分を犠牲にする=素晴らしいというイメージも同時にあるんんじゃないかな。
それは最近ツイッターで見かけた、無痛分娩の話題にも通づるところがあるのかなと。
友人が妊娠中で、無痛分娩の相談を受けた。「いいんじゃない」と共感したら、突然泣き出してびっくり。「子どもはお腹を痛めて産むもんだってみんなに責められ続けて辛かった。」と。こういう呪いは本当に害悪。お腹を痛めなくても父親は自分の子どもを大切にできますよ。母親も一緒でしょ。
— K (@ktobitate) 2018年11月25日
これです。なぜ人は人に痛い思いをさせたがるのでしょうか・・・
母子ともに健康であることが一番であって、しなくていい痛みなら味わわなくてよいじゃないですか。
そんなに辛い思い、させたいんですかね・・・と感じました。
私はお金が欲しい
私は、お金を稼ぎたい。なぜならば、まず一番に自分の生活があるから。
いつも、現状は生活がギリギリできていない。親から未だにお金を借りてしまうこともある。情けないけれど。
だけれど引き続き#metooに関する活動はしたいから、やはり生活ができるくらいの収入は欲しいものです。
そして、自分の生活に余裕ができればもっと今の活動にも力が入れられるから。
これはちょっとお金がないからできないな・・・とか、この日のイベント出演したいけど生活費が足りないからバイト入れなきゃな・・・断ろう。という判断をしなくても済むようになるから。
そしてもちろん自分が気に入ったところに住みたいし、趣味にだってお金を使いたいし、自分の能力を向上させるようなことにお金を使いたいし、美味しいご飯をたまに食べたいし!
もちろん詐欺をするとか、対価以上のお金をもらうとかは違うと思います。
だけれど基本的に私はビジネス=人助けなんだと思います。
誰かができないけれどして欲しいことをする。
私の場合は#MeTooの活動。したくてもできない人がいるし、多くないかもしれないけど、少しでも救われた人はいると思うんです。そのようなメッセージをいただきます。
それをお金を求めずにやれよって、違うんじゃないか?と感じます。
というか私になぜそんな無償の愛みたいなものを求められなきゃいけないんだろうと笑
私は神様じゃなくて、お金がないとご飯が食べられなくて死んでしまう人間なのになぁ。
そしてこれは、ギャラが出ない仕事はしません!ではないんですよね。
ギャラが出ないようなボランティアの仕事だったとしても、受けたい有意義なみんなのためになるような仕事も時にはあります。私自身が価値を感じられるようなイベントとか。そういうものもいつでも受けれるように、普段からたくさん稼げていれば良いんじゃないかと思います。
お金を稼ぐこと=悪という風潮について思う・まとめ
もちろん、これはボランティアをしている人を悪く言いたいわけではありません。
無償で行うことに負担がなく、楽しくやれる人はやれば良いと思います。
だけれどそれは、決して他人が決めることではないと思うのです。
人は人を助けた分、人に何かを与えた分お金を受け取って良いのだと思います。
それは自分がやりたいことであって欲しいと思います。
自己犠牲じゃない、自分がやりたいことで人に与えたり人を助けたりできること。
それが仕事なのではないでしょうか。
こちらの本にもこれに通ずることが書いてあります。
>>幸せなお金持ちになる方法!オススメ本「ユダヤ人大富豪の教え」 - また余計なことを・・・
私は#metooのこと、性暴力・セクハラ・ジェンダー・男女平等問題などについて勉強したり討論をすることがすごく好きです。
それで人を助けることができたらさらに嬉しいです。
なのでそれでお金を稼げるように頑張っていきたいなと思います。
そして誰もがお金のことで困らずに安心して生活ができるような世界を、難しいかもしれないけれど目指したいと思います。