また余計なことを・・・

30代、どう楽しく緩やかに生きよう

それは優遇?同じになっただけ?女性専用車両を優遇だと思う人。

以前、こんな記事を書いた。

 

www.ishikawayumi.jp

 

>>電車内で赤ちゃんをあやさない親がムカつく - また余計なことを・・・

簡単に話すと、「赤ちゃんを連れている親は周りにあやしてるアピールをするべきだ」という意見はおかしいんじゃないか?ということだ。

このことについて、ずっと考えている。

女性専用車両を優遇だと思う人

よく、女性専用車両を「女性が優遇されている」と批判する人がいる。
「女性はずるい」と。
しかしあれの実態は、女性であるという理由で電車内で痴漢に遭う人が多いため作られたものだと思う。

「電車に乗ると痴漢に遭う」という時点で、痴漢に遭う人(主に女性)はハンデができる。
それが、女性専用車両というものがあるということで、「電車に乗っても痴漢に合わない人(当たり前のことなのですが)」と同じ立場になれるのだ。

多分それが、「平等」というものだと私は思う。みんなが平等に電車という公共交通機関を使う方法。それが今のところ、女性専用車両という解決方法が一番なのだと思う。

なんだけれど、「女性が痴漢に遭わない」という状態を「優遇」だと思ってしまう人がいる。

違う例で、身体障がい者の方の話。例えば車椅子の人が電車に乗るときには、周りの助けを必要とすることがある。電車がすこーし遅れてしまうこともある。

で、たまに見るのが「申し訳なさそうな態度しろよ」みたいなところ。
これがいっつも変だなぁと思う。

生まれ持ったものでどうにもならないことを、助けることができる人が助けるのは当たり前のことじゃないのかな?というか義務なんじゃないのか?

私たちはなんの苦労もなく電車に乗れるけど、乗れない人がいる。乗れない人は何か悪いことをしたわけでもなく、生まれてきたら足が悪かったとか、事故で足が悪くなってしまったとか、とにかく責められることでも申し訳なく思うことでもなんでもない。

当たり前にできる人が、当たり前にできない人を助ける、もしくは助けられる制度を作るのが平等だということだと思う。

この場合車椅子の人は優遇されたのではなく、私たちと同じような電車の使い方をできるようになっただけだ。(それでもまだ同じようにとは言えないだろうけど)

そしてそれは当たり前のことなのだと思う。
なぜ申し訳ない態度を取らなければいけないのだろう。

同じように過ごせることが平等

これは、「ありがとう」と言わなくて良いとか感謝の気持ちを持たなくていいとか偉そうにしていれば良いとかそういう問題では全然なくて。

けれど意識として、助ける側・力を貸す側がそのことを当たり前と思わなければいけないんだと思う。私たちはこの人たちに力を貸して当たり前。それが平等だということだと思うから。そして人類が皆平等だということは法で定められているから。

私たちはたまたま今車椅子を使わずに生活ができているだけなのだから。

で、前回書いた問題にもう一度戻る。

乳幼児を抱いたお母さんは、私たちと同じ状態だろうか?
私には、自分一人じゃないもう一人の人間を抱いている、連れているという時点でハンデを抱えていると思う。
更に自分の力じゃどうにもならないような相手。(簡単に泣きやませることができない)

これをハンデと考える私は、そのお母さんにこっちにまで気を遣えとは思えない。

ここはやっぱり、
・子どもは泣き止むことが難しいということを知っていて
・母親にも色々な事情があるかもしれない(今はあやさない方が泣き止むのが早いかもしれないとか)ということ
を想像できる、私たち大人が相手を助けてあげる・我慢するのが当たり前なのではないのか。と、私は思う。

何度も言いたいけれど、これは助けてもらう側に偉そうにしろとか感謝しなくても良いとか言いたいわけじゃない。泣き声を迷惑だと思うな・悪と思うなでもない。

けれどそこに行く前に、助ける側の意識は?という問題提起です。

今回の記事は、不快に思われる方がいたらごめんなさい。書き方によっては私が障害のある人やお子さんを持つお母さんを下に見ているようなふうに思えてしまうかもしれない。

だけれどなぜこれを言いたいかというと、助ける側がやってやっている意識になってしうとハンデを抱えた人自身が申し訳ないという気持ちを持ち続けなければいけなくなってしまうんじゃないかと感じるからだ。

だけれど、障がいを持って生きていることも、子どもを産んで育てていることも、何も申し訳ないことなんてしていない。生きているということは素晴らしいことだ。それは誰も変わらない。それに子どもを産んで育てているということも素晴らしいこと。(本人がそれをしたい、ということ前提で。していない人が素晴らしくないとかでは決してない)

そういうメッセージをしっかり送らなければ、自分の存在を否定しながら生きてしまう人たちが増えてしまうのではないか?と思うからです。

すごく難しい人間の心理だとも思うけど、少しでも心に留めてもらえたら幸いです。