また余計なことを・・・

30代、どう楽しく緩やかに生きよう

エルジャポンの #KuToo 記事について、私の怒り。

こんばんは。石川優実@ishikawa_yumi)です。

本日は怒っているので記事を書くことにしました。
こちらの記事を読みました。

www.elle.com

この記事以前に、こんなこともありました。

abematimes.com

「何でもかんでも女性差別」とは?

この写真は私ですね。国際女性デー。ウィメンズマーチ東京、私はパレードに参加したのですが、abemaの方が取材しに来てくださったのです。「#KuToo」について。

私のインタビューの後、鈴木さんは#KuTooに関してなのか、内容をご存知でないウィメンズマーチに関してなのか分からないですが、

「なんでも女性差別は他にある幸福の道を見えなくする」「あなたの不幸は女性だからじゃない」とコメントされていました。

ちなみに職場でパンプスやヒールを指定されるのは「女性だから」ですし、鈴木さんがこの番組内では詳しく取り上げていないウィメンズマーチの内容を知っていたとして、その内容は「入試差別をするな」「セクハラをするな」「女性を狙ってぶつかってくるな」という、「女性だから起こる被害」に対して抗議するものでした。

私は最初、自分のインタビュー場面の前に鈴木さんのコメントを見たんです。なので、「変な編集のされ方したのかな」と思いました。

しかし、自分のインタビュー部分はとっても完璧な編集でした。短いながらこの署名活動の全てを伝えてくれたな、と思ってスタッフさんまじグッジョブ!と思ったくらいです。

だからこそ、それなのに鈴木さんのコメントそれ!?と思い残念でした。
「一体なんの話してるんだこの人は」
というのがいちばんの感想です。

まず、鈴木さんのコメント「ヒールを履きたい人もいる」という発言ですが、この前にある私のインタビューでまさに、「ヒールを否定するものじゃない。私たちにも男性の履いているような革靴を履く選択肢が欲しい」と言っていたのです。この発言があっての「ヒールを履きたい人もいる」って、会話が成り立っていない過ぎませんか。

ヒールを履きたい人の話はしていないよ。していないし、否定もしていないよ。ヒールやパンプスを履くことで怪我をしたり歩けなくなる人、合うものが簡単には見つけられない人の話をしているんだよ、と。

で、そこからの「なんでも女性差別は他にある幸福の道を見えなくする」「あなたの不幸は女性だからじゃない」でした。

まず、私たちはなんでも女性差別と言っているわけではありません。女性差別であるものに対して女性差別と言っています。

今回の#KuTooですが、イギリスでは職場でヒールを強制することは性差別にあたるとして法律で禁止された事例があります。私はこれを見て今回の署名をしっかり始めた、という経緯もあります。
署名活動中、多くそうやって女性差別ではないものを何でもかんでも女性差別だ!というから協力する気が無くなる」という意見をいただいたので弁護士さんに相談したところ、女性差別にあたる可能性が高いとのことです。

女性のみにパンプスを強制させることは女性差別にあたる可能性が高い

こちらが弁護士さんにお話を聞いた内容です。

 

法律に則った場合のパンプスは性差別にあたるのか?その可能性

男女共同参画社会基本法第4条では、社会の慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならないとしている。

女性がパンプスを履くべきであるという社会の慣行が会社での人事評価や採用につながるとすれば、この考えに反する。

また、男女雇用機会均等法第6条では、配置、昇進、降格などの処分について、性別を理由とした差別を禁止している。パンプスを強制しているのは女性だけ。

つまり、パンプスを履かないことで配置などの差別を行えば、性差別として禁止されかねない。

もしパンプスを履かないことで怒られたり裏に回されたり、などされたことがある人がいたらそれは性差別にあたる。

過去に私の友達で化粧をせずに来たら働かせてもらえず帰らされた子がいたが、それはここに当てはまる性差別。

もしくはセクハラに該当する可能性もある。

男女雇用機会均等法第11条にいう中に入るかどうか。性別による役割固定(女はお酌をすべきなど)を強制するのはセクハラと言われている。

パンプスを強制させられる理由が「足を美しく見せるため」「スラッと見せるため」などの理由ならば当てはまる可能性がある。

女性はパンプスがマナーという社会的な常識から強制させており、美しさのためではないという主張もあるかもしれないが、そもそもマナーとして女性にヒールやパンプスが使われるようになったことには女性に美しさを求める背景があったのだとしたら、セクハラになる可能性がある。

また「性別を理由に行われるハラスメント」がセクハラになるのならば、一般的に想像される性的な言動(エロいこと)とはイメージが違うが、「女性のみに革靴の形を指定し、過度な痛みと怪我、健康被害がある」ということはセクハラに該当するかもしれない。(性別を理由に行われる嫌がらせ)

嫌がらせと言うと悪意があるもののように感じられるが、指定している側に悪意があるかないかは別の話である。

ということで、この件が女性差別にあたる可能性というのは十分にあり得る話なので、ここで「女性差別」という言葉を持ち出すことはごくごく当たり前のことだと私は考えます。 

それをふまえて、「なんでもかんでも女性差別」という鈴木さんのコメントに私は違和感を感じました。

この件に関してはいろんな方が反論をしてくださっていました。

こちらの方のブログがとてもわかりやすく書いていてくださいました。

で、その後のこのエルジャポンでの記事でした。

これは「82年生まれ、キム・ジヨン」の書評なのか?

まず、韓国で大ヒットし100万部以上売れ、日本でも13万部売れている「82年生まれ、キム・ジヨン」のお話なのかしら、と思いきやこの記事を読み終わった後の感想は「なぜキム・ジヨンの話を出したんだろう?」。

そして、「パンプスやヒールが著しく足に怪我をするものであったり健康被害があるものだという認識が抜けているな」ということ。

先ほど長く書きましたが、「この件は女性差別とされる可能性が高いということが考えられていない」ということ。

私たちが今、パンプスやヒールを強制されることをやめて欲しいと訴えている理由として、「怪我をしてまで守らなければいけないマナーとは?そしてそれが女性だけに求められるのは一体なぜか?」ということを述べています。

私たちは彼女のいうような「自由」を求めているのではない。「怪我をしないという人間として生きていたら当たり前に願うこと」を、聞いてくれと言っているのです。

彼女はことあるごとに、「自分でその自由を勝ち取ってきた能力のある人」の話を出します。

これが強者の意見なんだなと感じました。
弱いとされる立場の人がいるからこそ、強いとされる立場の人もいる。

全ての人が強者になることはありません。いろんな人がいることによってこの社会は成り立っています。

そもそも、全ての人が上の立場に行きたいかどうかということもあります。人が仕事をするスタンスはその人その人が決めて良いことなはずです。

すごく頑張って能力があって、上へ上へ行きたい人。
家庭と仕事を両立したいから、雇われる立場で自分に無理のない働き方をしたい人。パートやアルバイトという立場を自ら選びたい人。
それはその人の自由です。

だけれど、パートやアルバイトを選びたい人だって、当たり前に人権があります。怪我をせずに働く権利があります。性差別は誰もされてはいけないものです。

もちろん、自らの能力によってその権利を勝ち取ってきた人は素晴らしいです、尊敬します。だけれど、その人たちは本来しなくても良い努力もしたのではないでしょうか。仕事を頑張るということと、当たり前に全員が持っているはずの人権を得るための努力。頭が下がります。

本来そこに「人権を得るための努力」は、必要なかったはずです。これがなかったら、もっともっと仕事だけに集中できたのでは?とも思います。

能力を持って上にのし上がった方が今の私たちの行動を見て、「甘え」だとか「わがまま」だと感じてしまう気持ちはすごく分かります。だけれど、「自分たちもそうやってきたのだから下の世代たちもそうしろ」では、世の中は良くなっていかないのでは?と感じます。(セクハラを受け流す、ということでもこの話はよく出ますよね。)

抗議だけいっちょまえで結果を出さない女や、抗議自体を目的化した態度は責められるに値するが、例え女性蔑視による判断がない場合も、そのように思わせる社会にも不備はある。正解の見えない、「女だから」がとても丁寧に隠された企業の中で、小さな不条理を蓄積させながら感じるヒール先端、つま先の爪の痛みが、実際のそれ以上に感じられるのはなんとなくわかる。

 #KuToo」はキム・ジヨンを幸福にするかーー鈴木涼美の『82年生まれ、キム・ジヨン』書評より

 

この方の言う「抗議」と言うのは、つまり「足を怪我したくないという#KuTooの運動」や、「女性差別」への抗議のことだと思うのだけれど、これらの抗議は結果を出さなくても全ての人が当然に訴えられる権利のあるものだと私は考えています。

この人は女性差別や人権を訴えても良い人、この人は訴えてはいけない人。そんなものはあるはずがないと思います。生まれてきた人は皆平等なはずなのですから。

全ての人は、自分の健康を保って働くことができなければいけません。それは能力があるとかないとか、その人がどういう人だとか関係がないです。

そしてヒール先端、つま先の爪の痛みは、実際のそれ以上に感じられていません。実際に怪我した分痛いだけの話です。血が出たり歩けなくなったり小指が圧迫されて爪が割れたり。それに対して痛みを感じているだけです。

 

男性同様の熱意や能力

記事のなかでキム・ジヨンがあった面接でのセクハラについてのことが書いてあります。そしてその後に、

男性社員同様、仕事への熱意や学歴も求められている。このあたりに、おそらくヒントがある。

とも書かれています。
セクハラを受けている時点で、もう男性社員同様ではありません。スタートが違う。

よく「女性管理職が少ないのは女性に実力がないからだ、実力がある人はしっかり出世している」というような意見を耳にしますが、果たしてそうでしょうか。

本来の仕事以外に、「セクハラを受けるストレス」「それを受け流さなければいけない技術」「妊娠・出産によって強制的に仕事を休まなければいけない時期があるということ」「女性ということでメイクを強制させられること」「女性ということでパンプスやヒールによって足を怪我しなければいけないこと」「母親なのに働くのかなどと言われ続けること・そのような社会からの圧力」「共働きでも家事の負担が女性の方が多い、もしくは全て女性」などの対応しなければいけない多くのこと。

これらは男性であればそんなにない「負担」かと思います。
これらをなくして、その上で実力で評価されるべきではないのでしょうか?

もちろん、実力が伴っていないのに「女性だから」という理由で出世させたり評価されることもあってはいけません。その評価をしているのは誰でしょうか。

鈴木さんはこの記事の最後に、

女の子だからやらないでいいよ、なんて言ってもらえない忙しい世のなかで歩きかたを模索する私たちに、そこまで気遣う余裕はないから。

と書かれています。この文章に私は、「女の子だからといってやらなくてよかった辛いこととか、あったでしょう。その恩恵を受けておいて、女性差別だとか権利を主張するなんてわがままだ」と言いいたいのかな、と感じました。

ではその「女の子だからといってやらなくてよかった辛いこと」って、どんなことがあったかな。と思い返しました。例えばなんだろう。力を使う仕事を男性が助けてくれることは多々あったなと。

よく男女平等の話をしていると出てくるのですが、「男女平等というなら、重い荷物持てよ」と言ってくる人がいます。

私は、自分より力の弱い人がいたら(ご老人など)自分が力仕事をしますし、荷物を持ったりします。


成人女性と成人男性で、力の強さが違うのは明らかです。そしてそれは、努力によって差がついたものではありません。 
もちろん、男性でも私より力が弱い人もいるかもしれません。その場合、私が力仕事を引き受ける。それが私の考える平等です。

「男女平等というなら、重い荷物持てよ」。
逆に私はそのご老人に、「重い荷物持ってやったんだからお前に平等を訴える権利はない」とは思いません。

女性ということで男性上司が女性社員を優遇することがあるでしょうか。
それは男性上司の意識を変えるべきです。
「女を売りにして」という言葉をよく聞きます。
「女を売りにする」ってそもそもなんでしょう?

コミュニケーション能力が高く、上司との関係を良好なものにできること?
綺麗な格好をしていること?いつも穏やかに誰に対しても優しく接すること?バッチリお化粧をして美しくいること?

不思議です。それらのことを社会に出た多くの女性が求められてきました。それなのに、それを実行すると「女を売りにして」と咎められる。

一体女性に何を求めているのでしょうか。

男性上司の意識が変われば、女性も女性を売りになんてしなくて済みます。
多くの女性が、「仕事ができること」プラス、「女性として気に入られること」を求められます。仕事だけではないんです。私たちは上司にとって都合のいい女性でいなければならないのです。それがどれだけストレスになっている人が多いのか。

男性だったら、どうやって上司からの下心のある誘いをうまく怒らせないようにかわせばいいのかなんて考えなくても良かった。
男性だったら、セクハラにあって仕事を辞めるなんてなかった。全ての男性がそのようなことがないと言っているわけではありません。割合として女性の方がそのような目に遭うことが圧倒的に多いのです。

どうか仕事だけに専念させてください。
そういう意味で男性と同じ土俵に立ちたいのです。
人間関係の問題も男性と同じものにしてください。プラスセクハラという悩みを与えないで。
男性と同じ靴で、仕事に臨みたいのです。
足の痛みにばかり心を奪われず、もっと仕事に労力を使いたいのです。
男性も革靴で痛みを感じているのなら、それでもいいから。まずは同じ痛みにしてほしい。

 最後に、「私は仕事なんてやる気ないけどいいお給料もらって楽して生きていきたいから女使うわー」という女性がもしいたら。

全然賛同できません。真面目に仕事したい女性の足を引っ張らないでほしい、というのが私の正直な気持ち。

男女平等になった時に、そのような方はそういう楽はできなくなるかもしれないけど、ごめんね。男女ともに正当に評価されるということはきっとそういうことだと思います。

 何かと等価交換の人権ではない

よく、「おごってもらったくせに」「優しくしてもらったくせに」「重い荷物を持ってもらったりしたくせに」「セクシーな格好をしていたくせに」などの言葉を見ます。

これらはセクハラにあったり、女性差別を訴えたりすると投げつけられる言葉です。

女性の人権は(今は女性の権利の話をしていますので女性の権利と書きましたが、全ての人の人権は、です。)奢ったり優しくしたり重い荷物を持ってあげたり、セクシーな格好をしていたからといって他人が奪えるものではありません。
等価交換ではありません。

奢ったり優しくされることを女性の優遇と考え、なのに女性の権利を訴えるのか!という意見を見ますが、全く別のお話です。

奢ることも優しくすることも、したい人がすれば良い話です。したら相手の意思を尊重しなくても良いものでは決してありません。

少し冷静に考えればわかることではないでしょうか。

何かをすることによって相手を支配できると考えているならば、改めた方が良いと思います。

邪魔しないで。

とにかく悔しかったです。
せめて邪魔しないで。
今も多くの人がパンプスによって怪我をしています。
多くの人が女性差別に苦しんでいます。
協力してくれなくて良いから、邪魔しないで。

そんな気持ちでいっぱいだったのでこの記事を書きました。

まとまらない文章でごめんなさい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。