また余計なことを・・・

30代、どう楽しく緩やかに生きよう

仕事でパンプスやヒールを強制されてしまう話#KuToo

こんにちは、石川優実@ishikawa_yumi)です。

連日の立ち仕事で足と腰が死にそうだったので昔のことを思い出してこんなことを呟きました。

 

 

高校を出て、観光の専門学校に入学しました。その際、学校の研修でホテルのラウンジに泊まり込みでバイトをしました。

その時、パンプスで足を怪我しまくったので、(靴擦れ、小指の爪が削れる・血が出る、足の指の変形)、私はその研修が終わった後専門学校ごとやめてしまいました。

靴がペタンコで、つま先がもっと広いものだったらよかったのにな、と思いました。

みんなはすごいな、我慢できない自分はダメなのかなぁとか甘いのかなぁとか、なんで合うパンプスに出会えないんだろうってその後14年間ずっと思ってきました。

そして先週。私は今葬儀のアルバイトをしているのですが、こちらもパンプス指定です。ヒールは一応5センチくらいをと言われましたが、ごまかしつつ3センチくらいの「幅広」と書かれて売っていたものを使っています。

行き帰りはスニーカーに履き替え、現場入りする前にパンプスに履き替えます。ただでさえ荷物が多く遠くの現場まで行くのに、邪魔だなぁ、けど会社で決められていることだし、というか世間一般的にそういうものだし、と思ってアルバイトをしていました。

そのバイト中、同じ現場で働く男性スタッフが靴を脱いで和室に上がっていたので、何気なくその男性の革靴を揃えました。

その時に思ったのです。

「私もこの靴で働きたい・・・羨ましいな」と。

ホテルのラウンジの仕事も今の葬儀の仕事も私としてはすごく好きなお仕事ですが、いつも足の痛みと戦っています。正直、

「なんでこんなところに労力を使わなければいけないの?」という気持ち。
仕事をする上で、解決方法を考えるところ・お金をかける大事なところはもっともっと他にあるように思えたからです。

そんな中、先ほどのツイートを何気なく呟いたところ多くの方から共感をしてもらえたということです。

同じように感じている人がこんなにいたんだ、ととても嬉しく思いました。

パンプスやヒールが指定されることの問題点

私が思う、パンプスやヒールが指定されることの問題点をまとめます。
大きく二つの問題が私の中であります。

1、同じ業種の中で男女の履物に違い・差があること

私が今回、この呟きをしたきっかけは自分が男性の靴に注目したことでした。
「同じ業種・雇用内容でなぜ男性は革靴で、女性はパンプスやヒール指定なのか」。

男性もヒールを履いていたら、「この業種にはパンプスやヒールが必要な意味があるんだな」と思います。それを踏まえての抗議になります。

しかし私の件は違いました。
男性がパンプスでもヒールでもないならば、この仕事にパンプスやヒールは必須ではないわけです。

私の希望はまず、「男性と同じ革靴にしてほしい」。そう感じました。
私の想像ではパンプスやヒールよりは革靴の方が足に負担がなさそうだと感じるからです。

革靴もつらいと言っている男性が「俺もつらいんだからヒールやパンプスを履きたい!」と言ってこないのがその証拠なんじゃないのかなと感じます。

2、身体に負担のあるものを仕事をする上で強制することの意味

そして、二つ目の問題点が身体に負担のあるものを仕事をする上で強制することの意味、です。

ここに来て男性の革靴・ネクタイなども同じようになくなって行くといいなと思います。

謎のビジネスマナーがたくさんあるなぁと感じますが、とにかく生産性がなく合理的でないと思います。

本当にその仕事を発展させて行くためには必要なのか、むしろ無くした方が効率が上がるのではないのか。そう思えるものはたくさんあるので、見直しが必要なんじゃないかと思います。

論点がズレていると感じる意見もたくさん来ました。

今回、たくさんの意見が私の元へ来ました。

一つ言いたいことは、先ほど例に挙げた問題点1を飛ばして2に行こうとするのは私はとても違和感を感じる、ということです。

私に来たリプに、「革靴だってつらい」とか、「男性とか分けるから意見を聞く気が無くなる」「差別の仕返し」などがありましたが、私は今回同じ職種なのに男性と女性の靴が違うことについて言及をしました。男性がつらいと言っている革靴を私は履きたいのです。

男性より楽をしたいわけではありません。男性と同じにしてほしいのです。
なぜ、「女性が男性と同じにしてほしいと訴えること」が差別にあたるのでしょうか。

「ビジネスの場なのだから、なんでもかんでも廃止にできないのが社会というもの。歩み寄りが必要だ」というリプも来ましたが、男性の革靴がビジネスの場で許されているのだから、そこに私たちが揃えることがなぜ叶わないのか。

「履かなくて良い仕事を選べば良い」に関しては、このような理由で職業の選択が狭まること、そしてそこに性差があることを私は問題点としています。
男性はホテルの仕事を選ぶときに、「パンプスを履けないんだったらこの仕事を諦めろ」とは言われないわけです。

「良いパンプスを選ぶ努力をしろ」というような意見ももらいましたが、だからそもそもパンプスである意味は?と言っているのです。男性と同じ革靴になったらその意見だって分かります。
だけれど現状違います。

私がパンプスやヒールについてツイートをしたとき、本当にたくさんの「男性だって」というリプが来ました。
男性も困っているならば、そのときそのときに声をあげてください。意見を言った女性を黙らすための道具として使うのはもうやめてください。

これほど不毛な会話はないと感じました。
「ヒールやパンプスはつらい、男性と同じ靴を履きたい」に対して「男だって大変なんだ」じゃあ、こちらもそちらも何も解決しないじゃないですか。

女性の「同じにして」を差別や優遇・わがままと感じるのはなぜ?

女性専用車両でもよく話題に出ますが、女性が男性と同じになろうとすると必ず「逆差別」「女性優位」などと言われます。

女性専用車両は男性と同じように性犯罪に遭わずに電車に乗るためのものだし、今回のヒール・パンプスだって男性と同じようにつま先のつまった靴やヒールのある靴を履かなくてもよい状態で働ける権利が欲しいわけです。

男性の革靴を飛び越えてスニーカーにして!と言っているわけではないんです。

今のように割合として男性よりも女性の方が性犯罪に遭いやすい状態、女性の方がヒールやパンプスを履いて仕事をしなければいけない状態、この状態を男女は平等だと思っているから、本当に女性が男性と同じところに来たときに違和感を感じ、男性より上になったような気になってしまうのではないでしょうか。

男性もつらい思いをしているなら、私たちが声をあげたときだけでなくもっと意見を言って欲しい。

女性がオフィスカジュアルで男性はスーツ指定・女性は髪型自由で男性はダメ、これらは私のヒールやパンプスの問題と同じものだと思います。
私は男性にそのように言われたら、「そうだよね、なんで女性は茶髪にしてよくて男性はダメなんだろうね」となります。

男性が私たちと同じようにスーツを脱いでオフィスカジュアルで出勤して来たり、同じように髪の毛を茶色にして来ても私たちは何も困らないからです。
私たちと同じことができるようになっただけなのですから。

男性が「スーツは夏なんか熱中症にもなるからきつい。女性はオフィスカジュアルでいいなぁ」と訴えることに違和感は感じますか?女性に対する差別的発言だと思うでしょうか?そしてその意見に、

「オフィスカジュアルだって毎日洋服選ばなければいけなくて大変なんだよ!」と言われたらどう感じるのでしょう?

まず人の話を聞け!会話泥棒め!と私は思ってしまいます。
どんな場所でも人が話しているのに自分の話にすり替えてしまう人は嫌われるのではないでしょうか。

まとめ

みんなが働きやすい環境を作っていくことはもちろん最終的な目標です。
ですがその前段階にある性差をなかったことにしてそれを目指すのは、どこかでまたひずみが生まれるのではないか。私はそう感じたので、男性との話を出しました。

多くの方に私が本当に訴えていることが伝われば良いなと感じました。

そして何かしら、パンプスやヒールが強制されてしまう社会を変えるようなアクションが今後できたらな・・・と思います。

 

SPA!への批判を「フェミニストは性に奔放な女性を悪とするのか」と受け取る人がいる現象について

長くなりましたが、タイトルにある通りです。

SPA!「ヤレる女性大生ランキング」批判署名活動

f:id:y-i-epicday-1-1:20190113142443j:image

SPA!の「ギャラ飲みでヤレる女性大生ランキング」に対して「女性を軽視した出版を取り下げ、謝罪してください」という署名活動がされ、実際に販売停止、謝罪文が発表されたというものです。

この件自体の内容は、もうすでに色んなメディアが取り上げているので割愛します。

www.buzzfeed.com

 

news.yahoo.co.jp

www.danshihack.com

このSPA!の件が炎上して私が思ったことは、
「ヤレる」ってすごい嫌な表現だな。女性側の意思が全く見えない。
「セックスしたい」だったらここまでならなかったんじゃないのかな?
つまり、「ヤレる」という言葉には性行為を行う際に一番大切な「性的同意を得る」ということが全く考えられていない印象を与え、ただでさえ同意を取るということが軽視されがちな日本で、(海外ではセックスをする際にアクションを起こす側が同意を取ることが常識とされている、詳しくは

>>#Metooしたグラビア女優・石川優実が聞く、大切な「性的同意」のこと - wezzy|ウェジー

>>「性的同意」について知ること。大学生にとって性暴力は身近な出来事だから - wezzy|ウェジー

を読んでいただきたい。)更に相手を尊重しないセックスを助長するのではないのか。
それをまだ未成年もたくさんいる(成人していても同意のない性行為はダメですが)大学生でランキングをつけているなんてありえないな。

ということ。

そして多くの人のSPA!への批判は、様々な記事やツイッターでの色んな人の呟きを見て、私の感じていた上記のこととそんなに遠くないんじゃないのかな?という印象を受けました。

なのですが。

SPA!への批判を「フェミニストは性に奔放な女性を悪とするのか」と受け取る人がいる現象について

 

このあたりのツイートでしょうか。

これらの意見、すごく「ズレているな」と感じるのは私だけでしょうか?

「女性が自己決定として性体験豊かになり、そういう女性が多い大学という意味だとしたら、何が悪いんだろ。」

→そういう意味には思えないので批判されたのだと思います。

「女がセックスに奔放で何が悪いのか。」
→誰が「女がセックスに奔放なのはいけない」と言ったのか。

ちなみにろくでなし子さんにこのようにツイートを引用させてもらったら

 

このようなお返事をいただきました。

お返事をいただけたのは嬉しかったのですが、どうしてもズレていると感じます。

と返信をしたのですが、その後こんなことを呟かれていて、更に「ズレている・・・」となってしまいました。

 

もちろん、色んな考え方があると思います。なのでろくでなし子さんの「女が奔放で何が悪い」も、考え方の一つだしむしろ私も同じ意見です。
女が自分の意思でセックスを色んな人とすることは何も悪いことじゃないし、そうなってほしい。(もちろん、したくない人はしなくて良い。)

なんだけど、ここで言いたいのはそこじゃなくて、そもそも「女が性に奔放で悪い」なんて言ってないってことです。

ろくでなし子さんは説教・考えの押し付けだと思われたようですが、果たして本当にそうでしょうか?

自分の主張を間違って受け取られていることに対しての主張は意見の押し付けなのでしょうか・・・

私や他の署名活動をした多くの人たちが、「女が性に奔放なんてダメだ!出版を取り下げろ!謝罪しろ!」と主張していたのならそれに対してのろくでなし子さんの意見として何もおかしなことはありません。

だけれど、そうではないんです。

「あなたは私たちの言葉をそう受け取っているけれど、私たちはそんなこといってませんよ、私たちの主張はこちらです」

それって、意見の押し付けとか説教とかではなく、ただ単に勘違いへの訂正というか。

「あなたは間違っています、私の意見を聞きなさい」
ではなく、
「あなたは私たちの意見を勘違いして受け取っていうように思えますが、正確に受け取ってもらえますか?」

と伝えたいわけです。

キズナアイ事件の時も同じようなことが起こりました。
「エロいから批判しているんじゃないんです、教える側と教えられる側の男女の割合、現状女性の尊厳が軽視されていること、それらの出来事があっての批判なんです」

としっかり伝えても、それに対しての返答はなく
「エロいからダメなんて、女性を軽視しているのはそちらだ!」
と返ってくる。

エロいからダメとか言ってない・・・

www.ishikawayumi.jp

>>クソフェミはどこにいる?女性の選択の自由とは。 - また余計なことを・・・

今回のろくでなし子さんも結局、「ヤレるという言葉は女性の自己決定権が感じられず、そこが問題視されて批判が起きていますよ」と伝えてもそれに対しての意見は見つけられませんでした。

この現象はなんなんだろうか・・・

実際にろくでなし子さんは、「女が性に奔放であることはいけないことだからSPA!を批判します!」という人をそんなにたくさん見かけたのだろうか?
そして、それはフェミニストだったのだろうか?

私も私で、やはり見たいものしか見ていない部分はあると思うのでそのように言っている人がたくさんいるならば教えてもらえたら嬉しいです。

そして、SPA!を批判しているフェミニストがみんな「性に奔放な女は悪だ!」と言っているわけではない、ということも知ってもらえたらな、と思います。
(というか私の周りはそんな人いなくて、みんな女性も主体的に性を楽しめる世の中になってほしい、と願っている人がとても多いのだけれど・・・)

 

こちらのツイートに大変共感しました。
そう、主体的に性を楽しむ女性はきっとヤレない女性だよね。自分でやるやらないをしっかり決めることができる女性なんだから。

とりあえず、明日行われる大学側とSPA!編集側のオープントークは聞いてこようと思っています。

www.facebook.com

良かったらこちらの「私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない」を読んでの感想を書いた記事も読んでね!

 

www.ishikawayumi.jp

 フェミニズムや男女平等、ジェンダー問題に興味がある人へのオススメの本。

 

フェミニストであることをめんどくさがられたって

最高な一冊を読みました。

知人とジェンダー問題について話をすることはありますか?

この記事を読んでくれているのはフェミニストの方でしょうか?

もしそうならば、あなたはジェンダーの問題の話をする際にこんな気持ちになったことはありませんか?

「ちょっと強く言い過ぎたかな?」

「もっと優しく言ってあげなければいけなかったかな?」

「言い方を考えなければ伝わらないかな?」

「めんどくさい女だと思われたかな?」

「うっとおしいと思われたかな?」

「敏感すぎる、つまらない女だと思われたかな?」

「もう遊びたくないと思われたかな?

「みんなで私のこと、あいつはうるさいって言ってるんじゃないかな?」

私は、2017年末に
>>#Me Too「私も。」|石川優実|note 

という記事を書いてからこの1年で、自分なりにジェンダーや男女平等、性差別の問題を勉強してきました。

もちろんまだまだ知らないことはたくさんたくさんありますが、今の時点で私が知ったことは、「女性であるということで受けてきたたくさんの差別があった」ということです。

家の電話にいたずら電話がかかってきて、知らない男に「オナニーしたことある?」と聞かれること。

道を歩いていると知らない男が突然タメ口で話しかけてくること。無視すると「ウゼー」などと言われること。

高校生の時に個人経営のマッサージ屋さんでバイトをしていて、(普通にタウン誌などにバイト募集が載っていた)個室で男性客相手にマッサージをしていたらレイプされたこと。(何が起きているのか理解できず、何も言えなかったし思考回路が停止した。終わった後3000円置いていかれ、私が泣いていたので雇い主も慰めてきたが怒ってくれなかったので悪いことなのかどうかの判別もつかなかった)

初めてピンク映画にキャスティングされた際、監督にミニスカートを履いてくるように言われたこと。そして顔合わせの後監督の事務所に一人で呼ばれたこと下着を付けずに来るように指示されたこと。

価値がないから早く脱げと匿名の掲示板やブログのコメントに書かれたこと。

グラビアで勝手に乳首を出されたこと。

性接待を強要されたこと。

性接待の詐欺にあったこと。

街で男の人にぶつかられること。

テレアポのバイトをしている時に「女じゃ話にならない」と言われたこと。

飲み屋に行くと見た目のことを言ってきたり、結婚していないことや子どもがいないことについて説教されること。

芸能の仕事以外の場面で、見た目をジャッジされること。

正論を淡々と冷静に話すと「怖い」とか言われ、逆に気持ちを込めて話すと「ヒステリー」と言われ話を聞いてもらえないこと。 そしてそれを女性のせいにされること。

ツイッターのDMで性器の画像が送られてくること。「やらせろ」などのDMが来ること。

書き出したらきりがないのでこの辺りにしておきますが、これらはきっと私が「女性」だからだと思います。

男性であったらこの被害のほとんどはなかったんじゃないかと思います。

女性であったから受けた被害なので、性差別です。 今までずっと、なんて説明していいのか分からないこの恐怖と怒りは、性差別が原因だったわけです。

「女性」であるから受けた被害、のはずなのに・・・

それを知った私はとてもとても心が軽くなりました。だって、私が嫌な思いをする原因は私の性格とか行動とかじゃなく、「女であること」だったのですから。

それと同時に、すごくしんどいこともありました。それは、仲の良い人が当たり前に性差別をする場面に幾度となく出くわしてしまうからです。そしてそれに気づいてしまうからです。

今まではほんの少しの違和感であったことが、明確に「これは女性蔑視だ」と分かってしまうからです。あぁ、これ、本当にしんどい。

だけれど気づいてしまった以上、黙っているわけにはいきません。
戦います。なぜそれが性差別になるのか、女性の意思を無視していることになるのか、女性を同じ人間としてみていないと言うことになるのか、色々なミラーリングや他の犯罪の例を出したりして、懸命に説明します。

だけれど、こんなふうに言われたことはありませんか?

  • 考え方の違いだから。
  • 各自の正義があるからね。
  • 女性専用車両は?
  • 今の時代男尊女卑なわけないじゃん。
  • 男だって大変なんだよ。
  • (痴漢問題の時の)冤罪の問題はどうするの?
  • 女とか男とかの話してねーから!
  • もっと伝わりやすい言葉で言わないと伝わらないしそれじゃあ何も変わらないよ?
  • 差別は無くなんねーんだよ。
  • そんなの一部でしょ?
  • 女は男に力で頼ったりするのに権利を主張するのか?
  • むしろ女性優遇されてるでしょ?
  • 女とか男とかじゃなくてお前の問題でしょ?
  • 俺の周りにはそんなやついないよ、お前の周りに変な人が寄って来るだけじゃない?

etc...あるあるすぎませんか?
これ、ツイッターではよくあるんです。セクシストとのやりとりは大体こんな感じです。だけどね、現実世界でもいるんです。びっくりです。

私は2018年、たくさんの仲の良かった男性と言い合いをしました。

その内容は大体先述した感じです。

私って、めんどくさい女?

そしてその言い合いをしたあと必ず私は私に、こんな悪口を浴びせるのです。

「うるさい女だな」

「めんどくさい女だな」

「笑って流せよ、飲みの場なんだから」

「ムキになってみっともない女だな」

「みんなお前のことうるさいやつだって陰で言ってるよ」

「なんで相手に伝わるように話してあげられないの?」

「ヒステリー女」

「敏感すぎる」

「空気の読めない女」

「意見の合わない人を排除だけして自分の考えだけを押し通そうなんて、ただのわがままだよ、相手の考えも受け入れる努力をしろよ」

こんな感じです。この1年間、常に頭の中にもう一人のこんな私が存在していました。そしてそれはとても苦しいことでした。

そんな私を救ってくれたのが最初に紹介したこの本です。

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

最高でした。とにかく全てのフェミニストの方に読んでもらいたい。

よくよく考えてみると、「理解させるために頑張る」と言うことには矛盾があります。理解はもともと、してもらうことではなく、することだからです。

「私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない」

            イ・ミンギョン著  すんみ・小山内園子訳 

引用したい文が多すぎて、書ききれないのでこれだけ。

全ての文が私の心を解放してくれました。

 

そもそも、「性差別がある」と言っているのに「ない」と言う、それ自体が性差別です。相手の話を聞こうとしていないのですから。

そして、本来差別の問題は自ら知るべきなのです。
彼らは子どもじゃありません。
何度も「女性蔑視が日本にはある」ということを知るヒントになる出来事はあったはずです。

差別の問題は、人権の問題です。許される問題でもなければ、「考え方の違い」などで済ませる問題ではありません。「差別はしてはいけない」、これしかありません。

にも関わらず、自分が差別する側だということに気づくチャンスがあったにも関わらず何も考えずに、性差別をなかったことにする。それはもう立派なセクシストです。

そのような思考停止している人に、私たちが何か教えてあげる必要はありません。

私はもう普通に軽蔑をして縁を切ることにしました。
優しい私たちは、時にセクシストにまで同情してしまいます。

だけど、そんな必要はない。
シャットダウン!
めんどくさい扱いして来る時点で、関わる必要のない人です。私の人生に必要のない人です。

そんな人に頭の中を支配されるより、もっと自分のことを大切にしてあげたいです。
差別の問題について真剣に向き合って、たくさんの人の幸せを心から願っている純粋な自分を責めるなんてもうやめましょう。もっともっと自分を讃えてあげたい!

それでも、時にやはりそんな会話になってしまうことはあるかもしれません。
その時には、「こういう返しをしましょう集」も載っています。

 

「そういうこと言うヤツ、はじめて生で見た・・・」
「逆差別ってどういう意味?キミのことばで説明してくれる?」
「あれ?いつから女だったわけ?なんで知ったような口きいてるの?」
「そういうニブい人が差別を助長するんだ、気をつけな」
「ニブくてフェミニズムを支持できないことをこっちの言い方のせいにしないでくれる?卑怯だから」

 

あぁっ!本当に全て紹介したいくらい・・・これだけでも、スカッとしませんか?これらの言葉は、

  • 「逆差別」の登場 
  • マンスプレイニングのはじまりはじまり〜
  • 「あんた、いったい何様」系男子
  • 「死んでもボクはセクシストじゃないぞ」系男子

などのシチュエーション別に紹介されています。
もうこのシチュエーションだけ見ててもあるあるすぎて笑えます。

フェミニストであることをめんどくさがられたって

もし、性差別のことで言い合いになり、自分を責めてしまっている人がいたら、そんな自分の優しさをぜひ抱きしめてあげてください。
そして、性差別をされて怒っても良いということももっともっと自分に言い聞かせてあげてください。

そしてこの本を読んでください。
心が解放されます。
まるで新しい世界に来たように、清々しい気持ちになれます。

どうかフェミニストの皆さんが、差別をなくしたいと願っている皆さんが、これ以上心を傷つけられませんように。
穏やかに生きられる毎日が訪れますように。

時代はきっと確実に変わっていっています。
私はほんの少し最近学び出したひよっこだけれど。
今までずっと頑張って来てくださった先輩たちに感謝をして。

全ての人が自分ごとと考えられる日が来ますように。

 

 

同じタバブックスさんからは出ている小川たまかさんさんの『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』

こちらも「私たちにはことばが必要だ」と同じくとっても売れているそうです!

フェミニズムの本が売れているって嬉しいことだし、そういう時代になって来たんだなぁと感じます。

小川たまかさんへのインタビュー記事はこちら

wezz-y.com

wezz-y.com

恋愛をしていないと、その心は穏やか。

f:id:y-i-epicday-1-1:20181210010137j:image

今、なんと好きな人がいません。
なんと恋愛をしていません。

え?そんなの大したことない?

いやいや。私にとっては重大事項です。
なぜなら、そんなの人生でほぼ初めてのようなものだからです。

恋愛至上主義の私は、気がついたらいつも恋愛をしていました。
一つの恋が終わるときは、だいたい新しい恋愛が始まるときと同時。

なのですがなぜか今回は何事もなく終了しました。

恋愛中の私、常に不安。

ついこないだまで、苦しくて仕方のない日々が続いていました。
ここ3年間くらい恋愛が全くうまくいってないもので、毎日毎日不安と寂しさと戦っていました。

その不安から解放されるのは、好きな人と会っている瞬間のみ。帰ってしまったらまた同じ不安の中に戻ります。そんな毎日でした。

それが、まだ終わったばかりなので寂しさが襲ってくる瞬間は確かにあるのですが、だいぶ割合が少なくなりました。

なんだか穏やかに過ごせています。
いつも寂しさから逃れるために飲んでいたお酒も飲まなくて済んでいるし。
お酒飲まないから衝動的に会いたくなることもない。

こうやってブログを書くことに意識を向けられるし、なんならずっと放置していた資格の勉強も再開できました。

なんだこりゃ。

恋愛しないって最高か。

ずっと、恋愛しなければいけないと思って生きてきました。
好きな人がいなければつまらないと。
物足りないと。
寂しいと。

その一方で、辛い恋愛になっているときはこれさえなければ穏やかに生きられるのになぁ・・・と毎日毎日考えていました。

今まさに、その状態になっているのです。

正直少しだけ、物足りない感もあります。
多分、私はあれだけ苦しかった不安や寂しさを心のどこかで楽しんでいたのだと思います。なんだかんだ、どういう形であれ刺激を求めていたのだと思います。

だけれどもう、こっちの穏やかな日常の方が居心地が良いや。

きっとずっと、自分ではない他人に人生を乗っ取られていたようなものだと思います。
いや、人のせいみたいに言っちゃいけない。
私が自分で、そうしていたのです。

常に好きな人のことで頭をいっぱいにしていないと気が済まなかった。
きっとそれが私の普通になってしまっていて、なんかおかしいことにも気がつけなかった。

だけれど今は、こうなってからは、自分のために時間を使えます。
恋愛中のような上がり下がりがない分刺激は少ないかもしれないけど、心が常に満たされている感じ。

何かが足りないような気分にあまりならなくなりました。

何かを埋めるための恋愛になっていた、を実感。

こうなってみて、自分の心を埋めるために恋愛をするのは良くないという言葉の意味がなんだか腑に落ちました。

自分でもそうなっているのはわかっていたけど、頭でしかわかっていなかった感じ。

多分腑に落ちたのは、恋愛していなくても大丈夫だとちゃんと心が実感したからだと思います。

今までは恋愛していない自分なんてなんだか味気ないし足りない気がするし人生損している気がするし、一人なんて寂しいし恋愛感情がないなんて物足りないよ〜と思っていたから・・・

どこかで恋愛していない状態を怖がっていた。

だけどそれを埋めても埋めても埋まらない。
恋愛してたってそんなの全然埋まらない。
寂しさループの始まり始まり。
不安の泥沼に落ちていく。
アリ地獄。

しかし抜け出した!!

恋愛をしていないと、その心は穏やか。

せっかくなので、恋愛していないとどれだけ穏やかに過ごせるのか、ちょっとしばらく存分に味わい尽くしてみようと思います。

今まで好きな人に注ぎまくってきた愛を、自分自身に向けまくってやるんだ!

そんなふうに過ごしす毎日の中でまた、好きな人ができたらきっとそのときは素敵な恋愛になるんだろうな。という希望も持ちながら。

お仕事がんばるぞー。

 

ちょうどいいブスをススメるのやめて!山﨑ケイさんはなぜ炎上している?

f:id:y-i-epicday-1-1:20181209170132j:plain

こんな記事が話題になっていました。

「ちょうどいいブスのススメ」山﨑ケイさんが炎上

news.nifty.com

以前から山﨑ケイさんの発言には、ちょっとどうなんだろう?と思うものがあったので私も色々な方の意見を見て、自分なりにも考えてみました。

 痴漢に遭わないことに感謝・・・?

 私が以前見たツイッターでの発言

このツイートには、「男性は女性のためでなく自分が冤罪にならないために努力しているのであって、それに感謝しようというのはおかしいのでは・・・?」という意見などが見られました。

前半は冤罪をなくすため、女性に偶然でも触れてしまい怖い思いをさせないため、などの努力なのかなぁ、と思うのですが、後半を見るとなんだか「性犯罪をしないための努力」みたいな言い方にも聞こえるので何言っているの?という印象でした。

「女もできることはするべきかと」とおっしゃってますが、女もできることってなぁに?
もしかして薄着をしないとこ短いスカートを履かないとかそういうこと?
となると最初の「薄着だからって痴漢していいとはならない!とか言うけどそんなの当たり前。」と言う文章の意味はなんだったんでしょう。

ここが矛盾しているように感じるので、先ほど言ったように男性の努力が性犯罪をしないための努力、というふうに受け取れるなと感じました。

性犯罪をしないための努力、というのは努力でもなんでもない当たり前のことですからね。

男性も女性も電車の中で性被害に遭わないのは当たり前のことなので、無事に着いたところを誰かに感謝、というのは私も変な話だと思いました。

そもそも痴漢と冤罪の問題は一緒に語ってはいけない問題です。
痴漢被害は痴漢被害、冤罪問題は冤罪問題で分けて考えなければいけません。そうでないと、痴漢被害者の声を黙らせてしまう恐れがあります。

 

ちょうどいいブスを目指そう!

で、こんな発言があったことも踏まえて今回の「ちょうどいいブスのススメ」炎上事件。

このシオリーヌのツイートにある画像を見てもらいたいです。 

山崎さんは「自分ってブスじゃないと思っている人」に送るメッセージとして書いているのかもしれないけど、これで届いてしまう層って「人に外見をディスられたことがあって悲しい思いをしている人たち」なんじゃないかと思う。

多分自分の容姿に満足というか納得というか、美人であろうと美人とは自分でも思えなかったしてもそれでも自分は価値がある、と思えている人間はわざわざ「ちょうどいいブス」を目指そうとは思わないと思う。

だってきっと今の時点で幸せだろうから。

だけれど、人に生まれ持った容姿のことでディスられ人間扱いしてもらえず、悲しい思いをしてきた女性がこのちょうどいいブスを勧められた時、どういう思考になってしまうか。

私は、「私はブスだけど、相手の都合の良い存在になれればブスでも許されるんだ」と思い込んでしまう気がする。

いやいや。ちょっと待ってください。

ブスだろうとブスじゃなかろうと、もうすでに許されてます!だって生まれてきてるんだから!

一体誰がブスを許してくれないの?
その人はブスを許さないという権利をお持ちなのか?

誰なの?
神様なの?

誰にとってのちょうどいい?都合がいい?

今回の件、炎上しているのは結局「誰にとってのちょうどいいなんですか?それって男性にとって都合のいい女ってことですよね?」ってところですよね。

いつもいつも、「女性は男性が見定めるべき存在である。」
そんなずっと刷り込まれた意識に苦しめられている女性たち。

今回山﨑さんを批判している人は、もともと人からブスと言われたことに傷つきながら、「男性に評価されなければ認めてもらえないんだ・・・」と絶望しながらも、「それでも私は自分を素敵だと思って生きていく」と思えるようになった人が多いんじゃないのかな、と勝手に予想。

そしてそう思えるようになってからの方が確実に幸せであるということを身をもって知っている人たちなんじゃないかなと。

だからこそ、まだ自分をブスだと責めている女性がこの「ちょうどいいブスのススメ」を見たときに、今後どんどん主体性がなくなって男性のために生きていく、それが自分の幸せからの行動ではなく「ブスな自分でも許される・認められるため」という理由から・・・という地獄のような生活になっていってほしくない!という気持ちで批判しているのではないのかな。

山﨑ケイさんが自分で自分のことを「ちょうどいいブス」とかいうのはただの自虐ネタとして勝手にしてくださいと思います。(時代遅れな笑いだなとは思いますが)

しかしそれをススメるのはやめてほしい(しかもちょっと押し付けがましい感じもする)。

ちょうどいいブスになろうとした理由

しかし私が今回の炎上で最も気になっているのは、「山﨑ケイも吉本という男社会の中で生きていくためにはこうならざるを得なかったのだろう」という意見が多いということ。

先ほどの痴漢のツイートもですが、男の人から都合のいい存在でいないと自分を保てないのかなぁ、という印象。
かつて自分もそうだったので、気持ちはすごく分かります。

この記事にもびっくりしたけど。

ray-web.jp


芸人の妻なら呼び出されたらすぐに行かなきゃいけないとか、妊婦のくせに化粧するなんてとか、芸人の嫁として〜とか。まぁ自分のためでなく男性の機嫌を取らなければいけないと思ってきた典型的な人ですよね。(しかし深夜に近い時間に妊婦を呼び出すってどういうこと・・・?とも思いましたし)

しかしそれを責める気にもなれません。だってそういう社会だもんね。きっと吉本にいたら余計そうなんだろうし。(これは上沼さんの件もあったので余計そう感じます。)

 

www.ishikawayumi.jp

 

ちょうどいいブスが幸せか、もう一度考えて

ここまで書きましたが、山﨑ケイさんがそれが幸せでやっている分には全く問題ないと思います。
男性の都合のいい女でいることがご自身の幸せならなんの問題もないかと思います。

私はそんなそもそも対等じゃない関係性でモテたとしてもそんなのモテたじゃなくて「なめられている」なので全然嬉しくないですけどね。

しかしこの件が世の中にどう影響を及ぼすのか、もう少し考えてくれたらな。って。
このご時世によくこんなこと言い出したよな・・・

もしかして山﨑ケイさんは全てしっかりわかっていて、でも世の中には当たり前に「女は男のために存在するものだ」という価値観が根付いていて、こうでもしないとみんな考え直すきっかけなんてないかもしれないからわざとこういう人を演じてみんなに問題提起をする形になっている・・・?

わけないか。だったら超尊敬します。いっそそうだったってことにしたら女性の救世主になりそう。 

私もずーっと自分の顔にコンプレックスを持って生きてきた人間ですが、自分の顔が好きだし(好きと思えない時もあるけど)、ブスだからと男性に合わせて生きていた時間よりもそんなのやめて自分のこと可愛い可愛いと自分を可愛がるようになってからの方が圧倒的に幸せな人生だよ!

幸せの押し付けはしたくないけど、もう一度本当にそれが幸せか?考えてみては欲しいと思いました。 

というか私はブスという言葉が大嫌い!

以前パチンコ動画の仕事させてもらっていたときに、一緒に働くカメラマンさんが
「ここの店員さんの顔面設定は6だな〜」とか言っててドン引きした。良い評価すればいいとかじゃなくて、なぜ人様を勝手にジャッジするんだ?と思ったし、他にもある演者の人の話になったときに「あの子ブスですよね〜」っていきなり言い出した女の子とか、もうみんな縁切った。すごく一緒に働くの嫌だった。

今回だって何回もブスって言葉使ってなんだか元気なくなってきた。全然気分良くない。

一体みんな人様のことなんだと思っているんだろう。
生まれ持ってきたもののこと悪くいうのが当たり前な世の中なんて最低。

もちろん、心の中で思うことはあると思う。
私だって、ブスとまでは思わないけど顔についての印象を思うことはある。

だけれど絶対に口にしたりしないし、それによってその人の何かが変わるなんてない。私がジャッジする立場なわけがない。というか誰だってそんな立場にない。

そしていい加減女性に「綺麗」を強制し続けるのはやめて!

綺麗な彼女・綺麗な妻・綺麗なお母さん・・・

そうしたい人はすればいいけど、子育てで大変なお母さんに化粧や髪の毛ちゃんとしろとか。しないと「女捨ててる」とかいうのやめようよ。

そういうものすべて繋がってるぞって、色んな世間を賑わせてる炎上問題見てると思います。

どうかこれ以上自分の容姿を責めて生きづらくなってしまう女性が増えませんように。そう願ってやみません。

上沼恵美子さんへのとろサーモン久保田さんスーパーマラドーナ武智さんは何がダメだったの?

私はM-1グランプリのにわかファンです。
お笑いファン、とかよりもM-1ファンというか。
スペック?的にいうと、
M-1の2001から2003、2004から2006のDVDボックスは購入しました。
友達に良さをわかってもらうため、そのDVDボックスはプレゼントしました。(無理やり)
とか、家に泊まりに来た友達と鑑賞しまくりました。(とても迷惑そうだった)

ただ、特別推しの芸人さんがいるわけではありません。みなさん面白くてすごいなぁと思い、当時は他の場所で披露した漫才をYouTubeなどで検索して見ていました。

ちなみにこれはマジで私の個人的好みなので気にしないで欲しいですが、好きだったのは麒麟さんです。初登場のネタの時は、今の和牛さんのネタと少し似てるなと思うところがあります。松本さんがここまでで一番面白かったと言っていて嬉しかった。

あとは笑い飯さんなんか私も例に漏れず好きです。奈良県立歴史民族博物館のネタは私的にはM-1史上だったんじゃないか?と思っています。

ただ、一度M-1がなくなってからは、そこまでの熱量はありません。ネタの一個一個を覚えてはいません。(逆にそれまでのやつは多分だいたい言えます。)

それはつまらなくなったとかじゃなくて、私の生活側に問題があって余裕を持って楽しめなくなっていたから。笑

そんなことはどうでも良くて!笑

炎上してますでしょ?
こんな感じで。

とろサーモン久保田さん問題

www.buzzfeed.comm

まずまず、自分の率直な意見。

「先輩によくオバハンとか言えたな〜公の場で。」

でした。オバハンとは言わんくても、私は先輩に人にバレるような場所で悪口を言ったことがなかったのでびっくりしました。

で、色々その他の意見を見てみますと・・・

その際、久保田は「酔っているのを理由にしますけれど、そろそろ(審査員)辞めてください」「自分目線の自分の感情だけで審査せんといてください」「お前だろわかるだろ、一番右側のな」と発言。

武智も久保田に続くように、「右のオバハンや。右のオバハンにはみんなうんざりですよ」「“嫌いです”とかって言われたら、更年期障害かって思いますよね」などと発言した。

Buzz Feed Newsより

一番問題視されたのはやはり「更年期障害かって思いますよね」という発言ですよね。 
昨今、これだけ女性蔑視が問題になっているのにこの言葉を使うことに(公の場で)なにも思わなかったのでしょうか?

女性が何か自分と違うことを発言した時や怒りを表明した時って、言われる率が高いです。

「生理中だ」
「更年期だ」
ってね。こうやって、私たちの意見の本質は聞き入れまいとされることが非常に多いです。

でもまぁ、生理中とか生理前とか更年期障害とか、それに対して精神が不安定になっている女性がいないとは言いません。もちろんそれによって精神状態が変わる人もいます。

しかしそんなことは一体本当にその人がそうなのか分からない。上沼さんが更年期障害かなんて分からないし、だったとしてもそれが果たして更年期障害が原因かなんて分からないわけです。それは生理も一緒ですね。

更年期障害や生理でイライラする人もいれば、全くそんなものない女性もいるわけです。
人によって違うわけです。

そんなこともわかっていない武智さんが「更年期障害かよ」と言った。それはやはり性差別ですね。とても腹立たしいです。というかそれしかいう事ないんかいという感じもしますが・・・

中には、「更年期障害かよ」という発言だけで女性蔑視だ!という言っていることに対しての批判もあるかもしれません。

しかし、私は一連の流れでお二人は女性蔑視な感覚があるんだなと感じています。

好き嫌いで決めるのはいけないこと?

まず、「自分自身の感情だけで審査せんといてください」というとろサーモン久保田さんの発言。

じゃあ誰の感情で審査すんねん。
と思いました。

上沼さんは、番組中に頻繁に「好き!」「嫌い!」と言いました。
それに批判が集まっているようですが、お笑いの好き嫌いが人によって違うのは当たり前では・・・?

だからこそ、様々な審査員がいるのだと私は思っています。

私のM-1を見ている印象では、松本人志さんは笑い飯さんとかジャルジャルさんが好みだと思います。(僕好きなんですよね〜と審査の時に発言をされています)

そして、高い点数をつけています。
それに対して批判されてますか?

以前、立川談志さんがスピードワゴンさんのネタに対して「下ネタ好きじゃないんだよね」と言って高得点をつけなかったことがあったかと思います。
今回も、オール巨人師匠がゆにばーすさんのネタに対して「申し訳ないんだけど、冒頭に反吐という言葉が出てくると僕らの世代はちょっと引いてしまうんですよね」と言ってしました。

どちらも、ご本人の好みの問題ではないでしょうか?

で、で、更に上沼さんがギャロップ林健さんに「自虐が暗い」と言ったこと、そのあとにミキのお兄ちゃんに「自虐が突き抜けてる」と言ったこと。に対して批判が出たこと。

それって、オール巨人師匠がゆにばーすさんのネタに対して「申し訳ないんだけど、冒頭に反吐という言葉が出てくると僕らの世代はちょっと引いてしまうんですよね」と言っていたのに、和牛さんのネタに対して「ゾンビとか殺してくれと言った言葉が出てきたけれど上品でよかった」みたいな発言したことと一緒じゃね?

と、私は思ったのでした。

だってその人の発する言葉って、その人の言い方、キャラクター、空気の使い方、色々で変わってくるやん!
同じセリフでも、いう人が変わると受け止め方が違う。それは私みたいな素人の演劇をした人間でも学ぶことです。

あの人が言ったら面白いのに私が言っても全然面白くならんやーん!って。笑

同じこと言ってますよ、なのに上沼さんにだけ言っている、更に更年期障害発言があったからこその炎上かなと感じます。

敗者復活戦への言及

あと、今回自分の中でちょっと深く考えさせられたきっかけは、敗者復活戦前の久保田さんのこのツイート。

 

私が最初思ったのが、「これ面白いと思ったコンビが顔が良かったら投票しにくいな」ということでした。

あと、受けてた受けてないかで決めるなら審査員とかいらなくね?という感想。
笑い声の大きさとか回数とか機械で測ればよくないですか?

で、この久保田さんのツイートのリプに「そうですよね!ミキとか!」というリプが少しあったので(多くはなかったですが、多分他のコンビ名は特に出てなかったのです)私はミキに対して何も思ってなかった感情(去年面白かったなぁ・・というものはありましたが)が、なんだかミキに入れちゃいけない空気なの?と思ってしまいました。まぁ結局ミキが自分的には面白かったから入れてしまいましたが。

久保田さんが何を思ってこのツイートをしたのかはわかりません。
「この人がかっこいいから票入れるー」という人と出会っていたのかしら?
それは確かに嫌やなぁとは感じます。

しかしさっきも言った通りこの喋り方だから・風貌だから面白く思えるというものは確実に存在するわけで。それも含めてのおもしろいだよなと思うわけです。

そのあとの上沼さん発言(他の男性審査員さんには言っていないということ)を見ると結局、「女性はお笑いが分かっていなくてかっこいいいとか可愛いだけで投票している」と思い込んじゃっているんじゃないかなーって。

そういう印象を持ってしまいました。

どうしても男性芸人さんが圧倒的に多い中で女性が審査員をすると、異性としてみていると勝手に決められてしまうのか?という感じ。

上沼さんの発言で、「ジャルジャルファンやけどこのネタは嫌い」と仰っていたから私は余計思います。その場その場での審査をしていたやんと。

ジャルジャル好きやけど今回のネタはちょっとと思ったから点数低くした

・ミキ好きで、更に今回自分が笑えるネタをしてくれたからいい点数つけた

・ミキ好きやったけど、更に超えるネタを霜降り明星がしてくれたからミキの存在忘れた

ずべて当たり前の普通な審査の仕方やないですか?

と私は思います。

最後に、もちろん審査員さんへの批判も一つの意見だと思うので良いと思うのです。
ただ、そこにそれが男性だった場合同じこと言っていますか?(松本さんが笑い飯ジャルジャル好きという発言をしたことに好みで決めるなと言いますか?)
ということとか、「更年期障害」発言が入ってきているので問題が全く違うなと思います。

M-1に挑戦されている演者さん、スタッフさん、審査員の皆さん、いつも素晴らしい番組をありがとうございます。

と思って、今回のブログを書きました。

 

それは優遇?同じになっただけ?女性専用車両を優遇だと思う人。

以前、こんな記事を書いた。

 

www.ishikawayumi.jp

 

>>電車内で赤ちゃんをあやさない親がムカつく - また余計なことを・・・

簡単に話すと、「赤ちゃんを連れている親は周りにあやしてるアピールをするべきだ」という意見はおかしいんじゃないか?ということだ。

このことについて、ずっと考えている。

女性専用車両を優遇だと思う人

よく、女性専用車両を「女性が優遇されている」と批判する人がいる。
「女性はずるい」と。
しかしあれの実態は、女性であるという理由で電車内で痴漢に遭う人が多いため作られたものだと思う。

「電車に乗ると痴漢に遭う」という時点で、痴漢に遭う人(主に女性)はハンデができる。
それが、女性専用車両というものがあるということで、「電車に乗っても痴漢に合わない人(当たり前のことなのですが)」と同じ立場になれるのだ。

多分それが、「平等」というものだと私は思う。みんなが平等に電車という公共交通機関を使う方法。それが今のところ、女性専用車両という解決方法が一番なのだと思う。

なんだけれど、「女性が痴漢に遭わない」という状態を「優遇」だと思ってしまう人がいる。

違う例で、身体障がい者の方の話。例えば車椅子の人が電車に乗るときには、周りの助けを必要とすることがある。電車がすこーし遅れてしまうこともある。

で、たまに見るのが「申し訳なさそうな態度しろよ」みたいなところ。
これがいっつも変だなぁと思う。

生まれ持ったものでどうにもならないことを、助けることができる人が助けるのは当たり前のことじゃないのかな?というか義務なんじゃないのか?

私たちはなんの苦労もなく電車に乗れるけど、乗れない人がいる。乗れない人は何か悪いことをしたわけでもなく、生まれてきたら足が悪かったとか、事故で足が悪くなってしまったとか、とにかく責められることでも申し訳なく思うことでもなんでもない。

当たり前にできる人が、当たり前にできない人を助ける、もしくは助けられる制度を作るのが平等だということだと思う。

この場合車椅子の人は優遇されたのではなく、私たちと同じような電車の使い方をできるようになっただけだ。(それでもまだ同じようにとは言えないだろうけど)

そしてそれは当たり前のことなのだと思う。
なぜ申し訳ない態度を取らなければいけないのだろう。

同じように過ごせることが平等

これは、「ありがとう」と言わなくて良いとか感謝の気持ちを持たなくていいとか偉そうにしていれば良いとかそういう問題では全然なくて。

けれど意識として、助ける側・力を貸す側がそのことを当たり前と思わなければいけないんだと思う。私たちはこの人たちに力を貸して当たり前。それが平等だということだと思うから。そして人類が皆平等だということは法で定められているから。

私たちはたまたま今車椅子を使わずに生活ができているだけなのだから。

で、前回書いた問題にもう一度戻る。

乳幼児を抱いたお母さんは、私たちと同じ状態だろうか?
私には、自分一人じゃないもう一人の人間を抱いている、連れているという時点でハンデを抱えていると思う。
更に自分の力じゃどうにもならないような相手。(簡単に泣きやませることができない)

これをハンデと考える私は、そのお母さんにこっちにまで気を遣えとは思えない。

ここはやっぱり、
・子どもは泣き止むことが難しいということを知っていて
・母親にも色々な事情があるかもしれない(今はあやさない方が泣き止むのが早いかもしれないとか)ということ
を想像できる、私たち大人が相手を助けてあげる・我慢するのが当たり前なのではないのか。と、私は思う。

何度も言いたいけれど、これは助けてもらう側に偉そうにしろとか感謝しなくても良いとか言いたいわけじゃない。泣き声を迷惑だと思うな・悪と思うなでもない。

けれどそこに行く前に、助ける側の意識は?という問題提起です。

今回の記事は、不快に思われる方がいたらごめんなさい。書き方によっては私が障害のある人やお子さんを持つお母さんを下に見ているようなふうに思えてしまうかもしれない。

だけれどなぜこれを言いたいかというと、助ける側がやってやっている意識になってしうとハンデを抱えた人自身が申し訳ないという気持ちを持ち続けなければいけなくなってしまうんじゃないかと感じるからだ。

だけれど、障がいを持って生きていることも、子どもを産んで育てていることも、何も申し訳ないことなんてしていない。生きているということは素晴らしいことだ。それは誰も変わらない。それに子どもを産んで育てているということも素晴らしいこと。(本人がそれをしたい、ということ前提で。していない人が素晴らしくないとかでは決してない)

そういうメッセージをしっかり送らなければ、自分の存在を否定しながら生きてしまう人たちが増えてしまうのではないか?と思うからです。

すごく難しい人間の心理だとも思うけど、少しでも心に留めてもらえたら幸いです。