ちょうどいいブスをススメるのやめて!山﨑ケイさんはなぜ炎上している?
こんな記事が話題になっていました。
「ちょうどいいブスのススメ」山﨑ケイさんが炎上
以前から山﨑ケイさんの発言には、ちょっとどうなんだろう?と思うものがあったので私も色々な方の意見を見て、自分なりにも考えてみました。
痴漢に遭わないことに感謝・・・?
私が以前見たツイッターでの発言
「薄着だからって、痴漢して良い理由にはならない!」とか言うけど、そんなの当たり前。でも勘違いさせないように努力してくれてる男性もいる。女もできることはするべきかと。
— 相席スタート 山﨑ケイ (@kbbyky) 2018年7月31日
満員電車に乗って、無事に目的地に着いたら、そういう努力をしてくれた男性がいたのかなって思ってみよう😘
このツイートには、「男性は女性のためでなく自分が冤罪にならないために努力しているのであって、それに感謝しようというのはおかしいのでは・・・?」という意見などが見られました。
前半は冤罪をなくすため、女性に偶然でも触れてしまい怖い思いをさせないため、などの努力なのかなぁ、と思うのですが、後半を見るとなんだか「性犯罪をしないための努力」みたいな言い方にも聞こえるので何言っているの?という印象でした。
「女もできることはするべきかと」とおっしゃってますが、女もできることってなぁに?
もしかして薄着をしないとこ短いスカートを履かないとかそういうこと?
となると最初の「薄着だからって痴漢していいとはならない!とか言うけどそんなの当たり前。」と言う文章の意味はなんだったんでしょう。
ここが矛盾しているように感じるので、先ほど言ったように男性の努力が性犯罪をしないための努力、というふうに受け取れるなと感じました。
性犯罪をしないための努力、というのは努力でもなんでもない当たり前のことですからね。
男性も女性も電車の中で性被害に遭わないのは当たり前のことなので、無事に着いたところを誰かに感謝、というのは私も変な話だと思いました。
そもそも痴漢と冤罪の問題は一緒に語ってはいけない問題です。
痴漢被害は痴漢被害、冤罪問題は冤罪問題で分けて考えなければいけません。そうでないと、痴漢被害者の声を黙らせてしまう恐れがあります。
ちょうどいいブスを目指そう!
で、こんな発言があったことも踏まえて今回の「ちょうどいいブスのススメ」炎上事件。
このシオリーヌのツイートにある画像を見てもらいたいです。
【 く、苦しい…😨 】
— シオリーヌ(大貫詩織) (@shiori_mw) 2018年12月8日
来年から始まるドラマ「ちょうどいいブスのススメ」が
開始前から物議を醸しています。
読んでいるだけで苦しくなる、宣伝文句の数々…
人をちょうどいいブスだなんて判断する権利は、誰にもない。
自虐しなきゃ大切にされない関係に、価値なんてない。
生きにくい世の中だ。 pic.twitter.com/6USdULzBQ1
山崎さんは「自分ってブスじゃないと思っている人」に送るメッセージとして書いているのかもしれないけど、これで届いてしまう層って「人に外見をディスられたことがあって悲しい思いをしている人たち」なんじゃないかと思う。
多分自分の容姿に満足というか納得というか、美人であろうと美人とは自分でも思えなかったしてもそれでも自分は価値がある、と思えている人間はわざわざ「ちょうどいいブス」を目指そうとは思わないと思う。
だってきっと今の時点で幸せだろうから。
だけれど、人に生まれ持った容姿のことでディスられ人間扱いしてもらえず、悲しい思いをしてきた女性がこのちょうどいいブスを勧められた時、どういう思考になってしまうか。
私は、「私はブスだけど、相手の都合の良い存在になれればブスでも許されるんだ」と思い込んでしまう気がする。
いやいや。ちょっと待ってください。
ブスだろうとブスじゃなかろうと、もうすでに許されてます!だって生まれてきてるんだから!
一体誰がブスを許してくれないの?
その人はブスを許さないという権利をお持ちなのか?
誰なの?
神様なの?
誰にとってのちょうどいい?都合がいい?
今回の件、炎上しているのは結局「誰にとってのちょうどいいなんですか?それって男性にとって都合のいい女ってことですよね?」ってところですよね。
いつもいつも、「女性は男性が見定めるべき存在である。」
そんなずっと刷り込まれた意識に苦しめられている女性たち。
今回山﨑さんを批判している人は、もともと人からブスと言われたことに傷つきながら、「男性に評価されなければ認めてもらえないんだ・・・」と絶望しながらも、「それでも私は自分を素敵だと思って生きていく」と思えるようになった人が多いんじゃないのかな、と勝手に予想。
そしてそう思えるようになってからの方が確実に幸せであるということを身をもって知っている人たちなんじゃないかなと。
だからこそ、まだ自分をブスだと責めている女性がこの「ちょうどいいブスのススメ」を見たときに、今後どんどん主体性がなくなって男性のために生きていく、それが自分の幸せからの行動ではなく「ブスな自分でも許される・認められるため」という理由から・・・という地獄のような生活になっていってほしくない!という気持ちで批判しているのではないのかな。
山﨑ケイさんが自分で自分のことを「ちょうどいいブス」とかいうのはただの自虐ネタとして勝手にしてくださいと思います。(時代遅れな笑いだなとは思いますが)
しかしそれをススメるのはやめてほしい(しかもちょっと押し付けがましい感じもする)。
ちょうどいいブスになろうとした理由
しかし私が今回の炎上で最も気になっているのは、「山﨑ケイも吉本という男社会の中で生きていくためにはこうならざるを得なかったのだろう」という意見が多いということ。
先ほどの痴漢のツイートもですが、男の人から都合のいい存在でいないと自分を保てないのかなぁ、という印象。
かつて自分もそうだったので、気持ちはすごく分かります。
この記事にもびっくりしたけど。
芸人の妻なら呼び出されたらすぐに行かなきゃいけないとか、妊婦のくせに化粧するなんてとか、芸人の嫁として〜とか。まぁ自分のためでなく男性の機嫌を取らなければいけないと思ってきた典型的な人ですよね。(しかし深夜に近い時間に妊婦を呼び出すってどういうこと・・・?とも思いましたし)
しかしそれを責める気にもなれません。だってそういう社会だもんね。きっと吉本にいたら余計そうなんだろうし。(これは上沼さんの件もあったので余計そう感じます。)
ちょうどいいブスが幸せか、もう一度考えて
ここまで書きましたが、山﨑ケイさんがそれが幸せでやっている分には全く問題ないと思います。
男性の都合のいい女でいることがご自身の幸せならなんの問題もないかと思います。
私はそんなそもそも対等じゃない関係性でモテたとしてもそんなのモテたじゃなくて「なめられている」なので全然嬉しくないですけどね。
しかしこの件が世の中にどう影響を及ぼすのか、もう少し考えてくれたらな。って。
このご時世によくこんなこと言い出したよな・・・
もしかして山﨑ケイさんは全てしっかりわかっていて、でも世の中には当たり前に「女は男のために存在するものだ」という価値観が根付いていて、こうでもしないとみんな考え直すきっかけなんてないかもしれないからわざとこういう人を演じてみんなに問題提起をする形になっている・・・?
わけないか。だったら超尊敬します。いっそそうだったってことにしたら女性の救世主になりそう。
私もずーっと自分の顔にコンプレックスを持って生きてきた人間ですが、自分の顔が好きだし(好きと思えない時もあるけど)、ブスだからと男性に合わせて生きていた時間よりもそんなのやめて自分のこと可愛い可愛いと自分を可愛がるようになってからの方が圧倒的に幸せな人生だよ!
幸せの押し付けはしたくないけど、もう一度本当にそれが幸せか?考えてみては欲しいと思いました。
私は自分のことを可愛いと思っていた方が幸せだと思う派なので、丁度いいブスを目指すのは反対派😇
— 石川優実 (@ishikawa_yumi) 2018年12月8日
誰にとっての丁度いいなんだろ?
というか私はブスという言葉が大嫌い!
以前パチンコ動画の仕事させてもらっていたときに、一緒に働くカメラマンさんが
「ここの店員さんの顔面設定は6だな〜」とか言っててドン引きした。良い評価すればいいとかじゃなくて、なぜ人様を勝手にジャッジするんだ?と思ったし、他にもある演者の人の話になったときに「あの子ブスですよね〜」っていきなり言い出した女の子とか、もうみんな縁切った。すごく一緒に働くの嫌だった。
今回だって何回もブスって言葉使ってなんだか元気なくなってきた。全然気分良くない。
一体みんな人様のことなんだと思っているんだろう。
生まれ持ってきたもののこと悪くいうのが当たり前な世の中なんて最低。
もちろん、心の中で思うことはあると思う。
私だって、ブスとまでは思わないけど顔についての印象を思うことはある。
だけれど絶対に口にしたりしないし、それによってその人の何かが変わるなんてない。私がジャッジする立場なわけがない。というか誰だってそんな立場にない。
そしていい加減女性に「綺麗」を強制し続けるのはやめて!
綺麗な彼女・綺麗な妻・綺麗なお母さん・・・
そうしたい人はすればいいけど、子育てで大変なお母さんに化粧や髪の毛ちゃんとしろとか。しないと「女捨ててる」とかいうのやめようよ。
そういうものすべて繋がってるぞって、色んな世間を賑わせてる炎上問題見てると思います。
どうかこれ以上自分の容姿を責めて生きづらくなってしまう女性が増えませんように。そう願ってやみません。