また余計なことを・・・

30代、どう楽しく緩やかに生きよう

寂しいから、お酒。

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今まとめているインタビュー記事の中で、印象的な言葉が出てきた。

「恐怖と不安は別物です。恐怖は対象が分かっている。不安は一体何に対して怖がっているのか分からないんです。」

私は、いつも不安だ。それは何が怖いか分からないからだ。
私はいつも、お酒を飲んでしまう。何か分からないけれど、とにかく何かが怖いから、その怖いものから逃れるためにお酒で麻痺させて眠るまでの時間を潰している。

寂しいから、お酒。

多分それは「寂しさ」なんだと思う。
寂しさから逃れるため、感じないでいるため、寂しい時間が早く終わるため。

じゃあ、寂しさってなんなんだろう?
簡単に寂しいって言ってみたけど、寂しいって一体なんだろう?
これこそまさに、「何にわたしは怖がっているのだろう?」

見て見ぬ振りをしてきたけれど、私っていつも何を見たくなくてお酒を飲むんだろう。
一人で過ごす時間?
人とあまりうまく喋れないこの空気感?

とにかく怖い。それはきっと何が怖いのか分からないから抜け出せないのだと思う。

多分、寂しいを悪だと思っているところがあるんだと思う。
なんだかとにかくいつでも寂しい。何かが足りない、満たされない。

毎朝今日は飲まないぞ!と思うのだけれど、仕事が終わる時間とか家に帰る前の時間になると「寂しいの波」とかが襲ってきて、 そこから逃れられるにはそれよりももっともっと魅力的な何かが起きない限り、奇跡としか言いようがないような幸せなことが起きない限り無理なのだ。

この時の私の心情は、「飲めば今日を幸せに過ごせる気がする」でもあるし、「飲まなければ私の人生は終わってしまう」でもあると思う。

ちなみに私は、アルコール依存症外来に行ってしっかりとアルコール依存症ですと言われている。本当にそうだと思う。私は自分でもしっかりと認識している、アルコール依存症なのだ。周りにはそんなことないよと言われるけれど、絶対にアルコール依存症なのだ。

もちろん今だってお酒を飲みながら記事を書いている。
むしろ飲まなければ書けない気すらしている。

お酒を飲んでいる時だけが、本当の自分でいられる。
そして、そういう時は人に嫌われることもあるけど特別に好かれることも多いのだ。

逆に言えば、お酒を飲んでいない時の私なんてつまらないの極みなのだ。
当たり障りのないことしか言えないし、深い深い心の奥なんてお酒を飲んでいる時にしか出てこない。出せない。自分でも認識できないのだ。

だからお酒を飲まなければ穏やかだ。
たまに飲まなくても過ごせる日が続くと、心が荒れない。好きな人にどうしてもあいたい!みたいな衝動が起きない。とにかく平和なのだ。このままお酒を飲まなければ、私は好きな人に会いたいと思うことがないのかもしれないと思うくらい。性欲も全く(いや、ほとんど)生まれなくなる。お酒をやめたら性欲なくなっちゃうんじゃないかという恐怖すら生まれる。そしてそれが寂しいことと思える。

また出てきた「寂しい」というワード。
寂しいからと言って、死ぬわけでもないのになんで人間はこの言葉に結構振り回されるんだろうか。

みんな寂しい?

私の大好きな映画のワンシーンでのセリフ。
「みんな寂しいんだよ。みんな寂しいんだから、寂しいっていうのなんて意味ない。」

みんな、寂しいのをどうやってやり過ごしているのだろうか?
私から見たら、みんな寂しさなんて感じずにとても充実しているように思える。
みんな寂しいなんてとても思えなくなる。寂しいという感情、知ってるんですか?と聞きたくなる。

それでもこんなセリフがあるくらいなので、きっとみんな寂しくて、それでもみんなうまく寂しさとやり過ごしているのだろうか、と思う。

私はまだ、お酒以外に寂しいとの過ごし方が見つけられない。
これも一つの寂しさと過ごす方法なのだろうか。もう少しお金と健康と精神を削がないようなやり過ごし方を見つけたいもんだな、と思う。

今日ももう赤ワイン3杯目。酔っ払って記憶をなくした方が、何も考えなくて済む。
そしてしかし寂しさはお酒を飲む前よりも倍増する。
そんな毎日。