また余計なことを・・・

30代、どう楽しく緩やかに生きよう

キズナアイとたんぽぽの川村さんと、ブスは罪だということについて。

 

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rainbowflag.hatenablog.com

ツイッターでこの記事が流れてきたので読んだ。

私はキズナアイという存在を知らなかったし、性的かどうかということも正直よく分からない。個人的に「萌え絵」というものは、エロいイメージがなくはない。
それはネットでエロいアニメとか漫画を検索すると結構な割合で萌え絵だからなのかな、と思うのですが。

で、キズナアイをちょっと置いておいて、先ほどの記事にも書かれている「たんぽぽ川村さん号泣問題」について思うことをまず書きたい。

こちらが話題になったツイート。

これにたくさんの女性からの共感が寄せられた。
ここでは、「川村さんは芸人なんだからこれを観て胸が痛くなるなんて失礼だ」みたいな意見もあったがそれは川村さんがどう思っているか、本人に聞かなきゃ分からないことなのでそれは置いておく。

「顔がどうとかじゃなくて積極的に行かなかったからだろう」という意見も、そうなのかもしれないが川村さんが「私も可愛く生まれたかったな」と号泣したことについての、そしてそれを見て女性が共感したということへの考察なのでそれも置いておく。

女として32年間生きてきて、いつも思うことがある。
それは、「顔が可愛くないことは犯罪なんだな」ということ。
「顔が可愛くないことは、親を恨まなければいけない程の罪なことなんだな」ということ。

このたんぽぽ川村さんの動画に女性から共感が寄せられたりたくさん拡散されいいねがついたのは、多くの女性が「自分の容姿によって自分は差別されている」と感じたことが少なからずあるからではないだろうか。

私が#MeTooの記事を書いた時、(記事はこちら>>#Me Too「私も。」|石川優実|note)

note.mu

本当に多くの人に救われたし優しい言葉をかけてもらった。
すごく感謝しています。

しかしやはりそれと同時に、「ブスなくせに芸能界に入って売れたいと思った自分を恥じろ」とか、「ブスなくせに女優になりたいと思ったから仕方ないのでは」など、とにかく私が「ブスだからこういう目にあっても仕方がない」という言葉をたくさんたくさん目にした。

私があった詐欺や性暴力は犯罪で、そういうことをしてきた人の中には捕まった人もいるのだけれど、そういう目に、犯罪にあっても仕方ない人間がいるという。
それは「ブスな女」、そして「ブスのくせに調子に乗った女」だという。

私は、たとえブスであろうと容姿が完璧でなかろうと、夢を持って活動をすることはみんなに平等に与えられた権利だと思っていた。だからこそ私はこの容姿でも芸能界というところに片足を突っ込むことができているのだと思っていた。

しかしなんだかどうやら、「ブス」ということは犯罪にあっても仕方のないこと、それくらいの「罪」であるんだな。なんて改めて思った。

もちろん、今私が書いてきた「ブスであることは罪」、なわけがない。そんなの法律で聞いたことがない。だからブスであってもそれを理由に、罰を受けなければいけないことなんてあるはずがない。(いや、もし犯罪を犯したとしてもそれを罰するのは警察などのちゃんとした機関であって、一般人にその資格はないはず。人を殴った人が暴行罪で捕まったとしても人に殴られてはいけないし財布を盗まれてもいけないし性犯罪にあってもいけない。)

ではどうしてこんな思想が当たり前のようになっているんだろう?
と考えた時に、世間にはたくさんのそういうメッセージが溢れているからではないのか、と思う。

今回のたんぽぽ川村さんのようなことは今までだってたくさん目にしてきたのではないか?テレビやラジオ、漫画アニメ、大人たちが繰り広げる人間関係の中で、人の容姿について点数をつける人たち、バカにする人たち。

 

ただ今回違ったのは、たんぽぽの川村さんはそれに対して「嫌だ」と意思表示をした。
今まで多くの女性はそれができなかったんじゃないのか?

だって、それに対して「嫌だ」と言ったところで、「ブスなんだから仕方ないじゃん」「男は容姿のいい人が好きでそれは生まれ持った本能なんだからそんなこと言っても仕方ないじゃん」「嫉妬してんなよ、みっともない」と言われるのがオチだから。

笑って我慢して流す、平気なふりをする、自分で自分に「だって私が可愛くないからだ」と言い聞かす。

そうやって生きてきた女性は多いんじゃないのかな。

私たちは、可愛い子みたいに扱え!と言っているんじゃない。
「人間として接してください」と、ごくごく当たり前の要求をしている。

特別扱いをして欲しいわけじゃない。
私が#MeTooで訴えたのは、「私はブスで実力もないけど、芝居も下手だけど仕事をくれ、特別扱いをしてくれ」ではなく、「ブスで実力がない私を人間扱いして欲しい、詐欺をしないで欲しい、性暴力をしないで欲しい」ということだった。

女性誌を見てもそうだ。
「可愛くいるためには」「ダイエット特集」「愛されメイク」「ママになっても綺麗でいるには」などの特集ばかりな気がする。

最近はセックス特集をしている雑誌をよく目にするが、それもだいたい「男性の機嫌を損ねず、伝わりやすく」「めんどくさいと思われず」のような、とにかく主観が「男性のため」になっているものは多い。

こういうものを何も考えずにいつもいつも目にしていると、女性の無意識下に「男性のために綺麗でいなければならない」「愛されるには可愛くならなきゃいけない」と植え付けられるのではないだろうか。逆にこれを目にして生きてきた男性の無意識下には「女性は可愛くないと価値がない」「いつも綺麗でいる女性にしか価値はない」とも。

で、話をキズナアイに戻すと、これと同じようなことが起きるんじゃないのかと私は思ってしまった。

私はキズナアイを知らない。今回の件で初めて知ったし、今でもどんな活動をしているのか良く分からない。

で、キズナアイは「萌え絵」というジャンルに多分入るということ。(少なくとも自分はそう感じた)
で、現実にネットで「エロ・漫画」と検索すると「萌え絵」と呼ばれるであろうジャンルの女性たち(小さな女の子たちも)がたくさんたくさんモノのような扱いを受けている画像が出てくること。(リョナ、とか陵辱、とか輪姦、とか)

で、今回のキズナアイの起用したNHKノーベル賞というのはキズナアイを知らない人たちもたくさんたくさん興味を持つということ、目にする機会が多いということ。

そしてその中には、現実とフィクションの区別がまだつかない子どももたくさんいるということ。下手をしたら大人にもたくさんいるということ。

同じ萌え絵と呼ばれている少女たちがひどい扱いを受けている画像や物語を目にしたとして。それと同じジャンルの絵の系統をしているキズナアイがHNKという公共放送に出ていて、しかもノーベル賞に関わる仕事をしている。ということは、国も認めてるし女性をモノのように扱うことはオッケーなんだ!という意識が誰も気がつかないところで無意識下に植え付けられてしまうかもしれないと感じるのは、私が敏感すぎるのだろうか?

けれど敏感になれなかったせいで、今の女性蔑視があると私は思っている。
まさかAVを見て、あれを本当の女性と同じだと思うはずがないよね、と思ってきた結果これだけ沢山の女性がAVを信じている男性に悩まされている。

だからこそこんな売れないいちグラビア女優が発信することがほんのちょっとだけ女性から共感されて仕事になってきているのだ。

HNKのキズナアイ起用について批判している人は、何もキズナアイそのものに文句を言っているわけではないと思う。
もちろん嫉妬でもないと思う。
今までいかに日本人の無意識下にある差別意識に傷つかされてきたからこそ、下の世代の人にはそんな思いをして欲しくない、という気持ちなのではないだろうか。

だから私は、ちゃんと説明があればいいんじゃないかなと思う。
女の子の容姿をしたAIが、聞き役になっていますがこれは女の子みんながそうなわけではないですよ、女の子でも男の子でも関係なく、科学を勉強して楽しんだり仕事にしたいと思う権利がありますよ、と。

「萌え絵」と言われるジャンルのキャラが起用されておりますが、そして性的なコンテンツに使われることもありますが、女性をモノのように扱うことは人権の侵害です、と。

「そんなこと言わなくても分かるわ。めんどくせぇ。」と思われた方がたくさんいると思いますが、日本は人権や性、ジェンダーの教育が全く足りていないと思う。
逆を言えば、そこの教育がちゃんとなされていればそんな説明しなくてもキズナアイを起用して誰も批判はしないんじゃないかとも思う。

だからめんどくさいしやりすぎだと思っても、そこまでしないといけないんじゃないかと私は感じている。

本当に現実とフィクションの区別がついているならば、女性に潮を吹かせるためにガシガシしたり、レイプをセックスの一つだと思ったりする人はいないと思うから。

キズナアイについて思うことはそれくらいで、たんぽぽ川村さんの話に戻る。
多くの女性はずっとずっと、「可愛くいなければいけない」ことに苦しんでいるのではないか。もちろん、自分が可愛くいたいなら全然いい。メイクやファッションも、好きな人は好きなだけすればいい。

けれどそうでない人は?

子育てでいっぱいいっぱいなのに保育園のお迎えに行くときにまで「綺麗」を求められるしんどさは?

こういう話をすると「男はそういう(見た目がいい女を好きな)生き物だから仕方ない」と済まされてきたと思うんだけど、本当にそうだろうか?

女にだって、見た目がいい男が好きな人は全然多いと思う。けれど、見た目が良くないからと言って差別してはいけないと分かっているからしてないだけの話ではないのだろうか?

もちろん、見た目が美しい女性は素晴らしいと思う。なんなら私は見た目がかっこいい男性より見た目が美しい女性の方が好きだ。興味があるしドキドキする。(恋愛感情は全くない。)

ドラマや映画、アニメだって美少女だらけだ。もちろんそれをやめろ!なんて思わない。だからこそたくさんの人が見るのだろうし、美しいということは一つの才能だと思う。生まれつき運動神経がいいとか、もちろん努力でそこに至る人もいると思うがそれも含めてその人の素敵なところだ。

だけれど、それが「そうでなきゃいけない」という世の中へのメッセージになってしまってはいないだろうか?
誰かがもっと、大人とか学校とかで「そうでなきゃいけないわけがない」と、声を大にして教えてあげなければいけないのじゃないだろうか。

それを「可愛いと思ってちやほやするのをやめろ!」とか言っているんじゃなくて、「私もちやほやしろ!」とか言ってるんじゃななくて、「私も人間として扱え!」と言っている。「人間として扱え!」というのは、「あなたと同じだと分かれ」って感じかもしれない。

私の好きな歌手の歌に、「only god can judge me」という題名の歌がある。

「俺をジャッジできるのは神様だけだ」という意味だと思っている。

私たちはみんな、地球に生まれて、死んでいくというだけの同じ人間だ。
それなのになぜ、他人が生まれ持ったものを評価できるのだろうか。ジャッジできるのだろうか。
一体みんな何者なのだろうか。

人は傷ついて成長していくのだから、過保護過ぎるという考えもあるだろう。けれど差別・ヘイトは違うと思う。「大失恋をした」とか「受験に失敗した」とか「友達と喧嘩をした」とかとは種類の違う、「人としての尊厳を傷つけられるもの」は、あってはいけないと思う。それは「死にたい」と思わせるには十分だから。
死んでしまったらおしまいだから。

 

私はずっと「私可愛くないから」という呪いに呪われてきた。自分の考えの浅さもその一因だと思うが、世間からの様々なメッセージだって要因の一つだと思う。
以前こんな記事を書いた。

だってわたし、可愛くないから。の呪い - また余計なことを・・・


春頃にこの記事を読んでくださった人からのお誘いでトークショー的なものをやります。この記事がきっかけだということは少しは同じような気持ちの人がいてくれるということだろうな、と私なりの解釈をして、そしてそれはとても嬉しいことなのだけれど。

この記事の最後に私は、「だってわたし、可愛いから。の魔法に変更しましょう」と書いて終わっている。

これは確かにとても良いことだと自分で思う。自分のことを自分で可愛いと思っていることほど幸せなことはないと思うから。

けれど、今回この記事を書くためにたんぽぽ川村さんのお話や日本での女性の扱われ方、改めて色々と思い返して考えてきて、ポンっと変わったことがあった。それは、

「わたし、可愛くなくてもいいや。」と思えるようになったということ。

世間に巻き込まれて自分も、「可愛くなければいけない」と思っていたのだなぁ・・・と改めて思った。

これで本当に呪いから解かれたんじゃないかと思う。

いくら自分に可愛いと言い聞かせたって、大好きなあの人に可愛いって言ってもらえなかった自分のことを可愛いなんて思えない。

けど違う。本当は誰かのために可愛くいる必要なんて、ないんだな。

そう思えるまでに私は、性暴力にもあってしまいました。女性蔑視にずっとモヤモヤして生きてきました。

どうか、これから先の世代の人たちがこんな思いをしてしか気付けないようなことがないように。

もっと世界に、日本に、「顔が可愛くても可愛くなくても、誰でも価値は一緒。みんな同じ、地球に生きている人間だ」ということが物語の中の綺麗事でなく本当にそうなんだというメッセージで溢れますように。

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